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崇神天皇【すじんてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

崇神天皇
すじんてんのう
第 10代に数えられる天皇。名はミマキイリヒコイニエノミコト。開化天皇の第2皇子。母は皇后イカガシコメノミコト。大和磯城瑞籬 (しきみずかき) 宮に都し,ミマキヒメノミコトを皇后とした。即位の初め神鏡霊剣を倭笠縫邑に移し,アマテラスオオミカミを祀ったといわれ,四道将軍をつかわして大和国家の範囲を広め,池溝を開いて農業に便をはかり,男の弓弭調 (ゆはずのみつぎ) ,女の手末調 (たなすえのみつぎ) を課して,国家の財政制度を確立したという。このように崇神天皇は,原始的な小国家を統一して大和政権を確立し,国内統治を進めたことから,後世「御肇国天皇 (はつくにしらすすめらみこと) 」と称されている。海外との交通も一段と盛んであったらしく,神武天皇ではなく崇神天皇が第1代の天皇だとさえ説かれている。陵墓天理市大字柳本の山辺道勾岡上陵。

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デジタル大辞泉

すじん‐てんのう〔‐テンワウ〕【崇神天皇】
記紀で、第10代の天皇。開化天皇の皇子。名は御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)。御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)とも称される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

崇神天皇 すじんてんのう
記・紀系譜による第10代天皇。
父は開化天皇。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。「日本書紀」によると,都は磯城(しき)の瑞籬(みずかきの)宮(奈良県桜井市)。北陸,東海,西海,丹波の四道に将軍を派遣して統治したとつたえ,御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称される。崇神天皇68年12月5日死去。120歳。墓所は山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)(奈良県天理市)。別名は御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

すじんてんのう【崇神天皇】
第10代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は,大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り,また伊勢神宮創始に関係したとされることである。《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離のをつくった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

すじんてんのう【崇神天皇】
記紀所伝の第一〇代天皇。御間城入彦五十瓊殖尊みまきいりびこいにえのみことの漢風諡号しごう。開化天皇第二皇子。北陸・東海・西道・丹波などを平定。また、税制の基盤を築き、国家体制の基礎をととのえ、御肇国天皇はつくにしらすすめらみことといわれる。都は大和磯城瑞籬しきみつかき宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

崇神天皇
すじんてんのう
記紀の皇室系譜では第10代の天皇。開化(かいか)天皇の皇子で、母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)(伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと))。垂仁(すいにん)天皇の父。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)(御真木入彦印恵(みまきいりひこいにえ))天皇、御間城天皇、水間城王などともよぶ。『古事記』『日本書紀』がともにハツクニシラシシ(御肇国、所知初国)天皇と称していることが注目される。記紀の所伝では、この天皇は磯城(しき)の水垣(みずがき)(瑞籬、奈良県桜井市金屋付近)に宮居したと伝える。疫病が流行したので三輪山(みわやま)の神を祭祀(さいし)し、また四道(記は三道)将軍を派遣したこと、あるいは武埴安彦(たけはにやすひこ)(建波邇安王(たけはにやすひこ))の反乱を鎮定したり、男女の調(みつぎ)(貢物)を定めたりしたことなどが記紀にみえている。紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭大国魂(やまとおおくにたま)神の2神を殿内に祀(まつ)るのをやめ、天照大神は笠縫邑(かさぬいのむら)に移したという伝えもある。
 この天皇の代を確実な大王家の初めとする説や、あるいは、崇神天皇に始まる三輪山を中心にした政治勢力を三輪王朝とよんで、河内(かわち)を基盤にした応神(おうじん)天皇に始まる王朝(河内王朝)と区別する説もある。北方大陸系の騎馬民族が征服王朝を樹立したとみなす騎馬民族征服王朝説では、騎馬民族の後裔(こうえい)である崇神天皇は、まず北九州に入って第一次の「建国」をなしたと解釈している。このように崇神天皇の代はさまざまに評価されているが、三輪山を中心とする政治勢力が、注目すべき画期をつくったことは見逃せない。陵墓は山辺の道(やまのべのみち)の上にあると伝え、奈良県天理市アンドの巨大な前方後円墳(山辺道勾岡上(やまのべのみちのまがりのおかのうえ)陵)だという。[上田正昭]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

すじん‐てんのう ‥テンワウ【崇神天皇】
第一〇代の天皇。開化天皇の皇子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇・御間城天皇・御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)とも称された。記紀の所伝では、疫病が流行したので三輪山の神を祭祀し、四道(三道)将軍を派遣して大和朝廷の勢力を広めたという。陵墓は天理市にある山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)といわれる。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

崇神天皇
すじんてんのう
記紀の伝承にみえる第10代天皇
記紀によると,開化天皇の皇子。天照大神 (あまてらすおおみかみ) を笠縫邑 (かさぬいむら) に遷し祭り,四道将軍を派遣し,男子には弓弭調 (ゆはずのみつぎ) ,女子に手末調 (たなすえのみつぎ) を課すなど国家組織の整備に尽くした。神武天皇と同様始馭天下之天皇 (はつくにしらすすめらのみこと) と呼ばれたことから,大和政権を最初に確立した大王(天皇)と考えられている。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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