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川端茅舎【かわばた ぼうしゃ】

美術人名辞典

川端茅舎
俳人。東京生。本名は信一。日本画家川端龍子異母弟岸田劉生絵画を、高浜虚子俳句を学ぶが、持病脊椎カリエスのため画道を断念句作専心。絵画の観察眼の精神性を土台とした「茅舎浄土」とされる独特の斬新な苦境を展開、『ホトトギス』の代表作家として活躍した。昭和16年(1941)歿、41才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

かわばた‐ぼうしゃ〔かはばたバウシヤ〕【川端茅舎】
[1897~1941]俳人。東京の生まれ。本名、信一。竜子(りゅうし)の異母弟。高浜虚子師事。「ホトトギス同人句集に「華厳(けごん)」「白痴」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

川端茅舎 かわばた-ぼうしゃ
1897-1941 大正-昭和時代前期の俳人。
明治30年8月17日生まれ。川端竜子の異母弟。岸田劉生(りゅうせい)に師事して画家をこころざしたが,劉生の死と自身の病弱のため俳句に専念する。高浜虚子(きょし)にまなび,「ホトトギス」同人となる。虚子から「花鳥諷詠(ふうえい)真骨頂漢」の称をあたえられた。昭和16年7月17日死去。45歳。東京出身。独協中学卒。本名は信一。句集に「華厳(けごん)」「白痴」など。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

かわばたぼうしゃ【川端茅舎】
1897‐1941(明治30‐昭和16)
俳人。東京生れ。本名信一(のぶかず)。父は漢詩,俳諧,書画をたしなんだ風流人で,その芸術的な血は茅舎にも継がれ,画家川端竜子は異母兄である。1921年,洋画を志し岸田劉生に師事,かたわら15年以降《ホトトギス》などへの投句遍歴を続けた。31年,脊椎カリエスのため画業を断念,高浜虚子に師事し句作に頭し,《ホトトギス》に茅舎,松本たかし中村草田男時代を画した。以後没年まで闘病生活の中でいっさいを句作に傾注し《川端茅舎句集》(1934),《華厳》(1939)などの句集を残した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かわばたぼうしゃ【川端茅舎】
1897~1941 俳人。東京、日本橋生まれ。本名、信一。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。句風は「茅舎浄土」と称され、求道精神に貫かれた荘厳な自然賛美を特徴とする。句集「川端茅舎句集」「華厳」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

川端茅舎
かわばたぼうしゃ
[生]1897.8.17. 東京
[没]1941.7.17. 東京
俳人。本名,信一。画家川端龍子の異母弟。 1914年独逸協会学校中学卒業。初め画業を志し,岸田劉生に師事したが病を得て断念,34年『ホトトギス』同人となり,以後病臥と俳句の生活に入った。若くして宗教的雰囲気を求め,花鳥諷詠における自然賛美,自然随順デッサンに支えられた単純化の極致を示し,「茅舎浄土」と呼ばれる独自の境地を開いた。代表句集『川端茅舎句集』 (1934) ,『華厳』 (39) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

川端茅舎
かわばたぼうしゃ
(1897―1941)
俳人。本名信一(のぶかず)。東京日本橋区蠣殻町(現、中央区日本橋人形町)生れ。川端龍子(りゅうし)は12歳年上の異母兄。独協中学卒業後、藤島武二の絵画研究所に通い、のちに岸田劉生(りゅうせい)に師事した。1915年(大正4)『ホトトギス』に初入選し、1924年雑詠欄の巻頭を得た。その間武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の「新しき村」の村外会員になったり、京都東福寺の塔頭(たっちゅう)正覚庵(しょうがくあん)に寄寓するなど、求道的な生き方を追究した。1931年以降は脊椎カリエスにより、大田区大森の自宅で約十年に及ぶ病臥生活を続けた。『川端茅舎句集』(1934年、玉藻社)の中の句「金剛の露ひとつぶや石の上」、または第二句集『華厳(けごん)』序に記された高浜虚子の「花鳥諷詠真骨頂漢」という言葉から、「茅舎浄土」と評された作者の俳境がうかがえる。[瓜生鐵二]
『野見山朱鳥著『川端茅舎の俳句』(1969・菜殻火社) ▽石原八束著『新訂人と作品 川端茅舎』(1979・桜楓社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

かわばた‐ぼうしゃ【川端茅舎】
俳人。東京出身。本名信一。絵を岸田劉生に、俳句を高浜虚子に学ぶ。「ホトトギス」同人。「茅舎浄土」といわれる格調高雅な美的境地の句風を示した。句集「川端茅舎句集」「白痴」。明治三〇~昭和一六年(一八九七‐一九四一

出典:精選版 日本国語大辞典
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