@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

市河寛斎【いちかわ】

美術人名辞典

市河寛斎
江戸中・後期漢学者・漢詩人上野生。市河蘭台の子、市河米庵の父。名は世寧、を子静・嘉祥。別号に半江・江湖老等。初め父蘭台につき、ついで、関松窓、大内熊耳に学ぶ。昌平黌の学員長となり、天明7年には江湖詩社を設立。柏木如亭菊池五山を教え、写実的な新詩風を確立した。越中富山藩藩校広徳館の教授を務めた。細井平洲・井上金蛾等交流も広い。著書に『日本詩紀』などがある。文政3年(1820)歿、72才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いちかわ‐かんさい〔いちかはクワンサイ〕【市河寛斎】
[1749~1820]江戸後期の儒学者・漢詩人。上野(こうずけ)の人。名は世寧、字(あざな)は子静。昌平坂学問所に学び、富山藩校教授となった。「日本詩紀」「全唐詩逸」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

市河寛斎 いちかわ-かんさい
1749-1820 江戸時代中期-後期の漢詩人。
寛延2年6月16日生まれ。市川蘭台の子。上野(こうずけ)(群馬県)の人。江戸の昌平黌(しょうへいこう)の学員長となる。天明7年(1787)神田に江湖詩社をおこす。柏木(かしわぎ)如亭,菊池五山らにおしえ,写実的な新詩風を確立する。越中富山藩にまねかれ,藩校広徳館の教授をつとめた。文政3年7月10日死去。72歳。名は世寧。字(あざな)は子静。別号に半江,江湖詩老。著作に「日本詩紀」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

いちかわかんさい【市河寛斎】
1749‐1820(寛延2‐文政3)
江戸後期の儒者,漢詩人。上野(こうずけ)の人。名は世寧。字は子静。通称は小左衛門。寛斎は号。早くから江戸に出て昌平黌に学び,朱子学を修めた。1791年(寛政3)富山藩に儒官として抱えられ,1811年(文化8)までその職にあってしばしば富山に赴いたが,儒者としての業績にとくに見るべきものはない。文学的な資質に恵まれ,漢詩人としての活動に本領があった。昌平黌に学んでいた時分には,古文辞派擬古主義の影響を強く受けて,その詩風の詩人としてすでに一家をなしていた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

市河寛斎
いちかわかんさい
[生]寛延2(1749).上野,甘楽
[没]文政3(1820).7.10. 江戸
江戸時代後期の漢詩人。名,世寧。字,子静。昌平坂学問所に学び,のちに学員長に補せられたが,5年後病のため辞し,富山侯に仕えた。さらに江戸に江湖社を開いて多くの俊秀を育てた。博学で詩才があり,初め中国晩唐の詩を学び,のちに陸游 (りくゆう) の清新な詩を尊んだ。『日本詩紀』 (刊年未詳) ,『全唐詩逸』 (1804) を編み,『寛斎先生遺稿』『随園詩鈔』など著書多数。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

市河寛斎
いちかわかんさい
(1749―1820)

江戸後期の儒学者、漢詩人。姓は市川とも書く。名は世寧、字(あざな)は子静(または嘉祥(かしょう))、号は寛斎のほか江湖詩老など。上野(こうずけ)(群馬県)の人。15歳で江戸に遊学、28歳のころ昌平黌(しょうへいこう)に入り、5年間学員長を務めた。1790年の寛政(かんせい)異学の禁を批判し、42歳のとき昌平黌を追われた。その後、生活は苦しく妻子は飢えに泣くという窮状にたった。43歳で富山藩校の教授となり、掛川藩世子の侍講を兼ねる。富山藩に仕えること20年余、63歳で辞任した。

 漢詩人としては、40歳ころに神田お玉が池(東京都千代田区)に江湖(こうこ)詩社を結成した。その詩論は幾度も変わり、終わりには反古文辞を基調としながらその長所はとり、宋詩(そうし)を鼓吹し、性霊説(せいれいせつ)を主張した。僧元政(げんせい)、釈六如(りくにょ)の系統を継ぐものである。『寛斎先生遺稾(いこう)』5巻、『寛斎摘草』4巻、『全唐詩逸』3巻(編)、『日本詩紀』53巻(編)などの編著がある。

[松下 忠 2016年4月18日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

市河寛斎 (いちかわかんさい)
生年月日:1749年6月16日
江戸時代中期;後期の漢詩人;儒者;越中富山藩士
1820年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

いちかわ‐かんさい【市河寛斎】
江戸後期の朱子学者、詩人。名は世寧。通称小左衛門。別号江湖詩老。昌平黌(しょうへいこう)に学び、富山藩校教授として二〇年在職。主著「全唐詩逸」「日本詩紀」「寛斎遺稿」など。寛延二~文政三年(一七四九‐一八二〇

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

市河寛斎
いちかわかんさい
1749〜1820
江戸後期の朱子学者・漢詩人
上野 (こうずけ) (群馬県)の人で,米庵の父。林家 (りんけ) に学び,昌平坂学問所の学頭,のち富山藩の藩校広徳館の教授となった。門人が多く,詩才にすぐれ,江戸の詩風を変えたといわれる。著書に『寛斎遺稿』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

市河寛斎」の用語解説はコトバンクが提供しています。

市河寛斎の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation