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平景清【たいらのかげきよ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

平景清
たいらのかげきよ
平安時代末期,鎌倉時代初期の武将。忠清の子。寿永2 (1183) 年源義仲との戦いに,知盛らに従い,平氏侍大将として活躍。平氏一門と行動をともにし,文治1 (85) 年2月の屋島の戦い,3月の壇ノ浦の合戦奮戦,平氏滅亡後も生延びた。叔父の大日坊能忍を殺したことから「悪七兵衛」と呼ばれた。鎌倉幕府による平氏残党討伐が行われているさなか,東大寺大仏殿供養のため上京した源頼朝に建久6 (95) 年4月降伏,のち絶食して死んだという。後世,勇猛が喧伝され,浄瑠璃出世景清』および謡曲景清』などの素材となった。

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デジタル大辞泉

たいら‐の‐かげきよ〔たひら‐〕【平景清】
[?~1196]平安末期の武将。伊勢の人。源義仲と戦い、のち、頼朝に降伏。断食して死んだという。伯父大日坊を殺したので悪七兵衛(あくしちびょうえ)とよばれ、勇名は謡曲・浄瑠璃などの素材となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

平景清 たいらの-かげきよ
?-? 平安後期-鎌倉時代の武将。
藤原忠清の子。平氏の侍大将。源義仲との戦いをはじめ一ノ谷,屋島,壇ノ浦と転戦。平氏滅亡後,逃亡中に早合点から叔父の大日能忍を殺害し悪七兵衛と称される。建久6年(1195)源頼朝に降伏したが,断食して死去したといわれる。のち浄瑠璃(じょうるり)「出世景清」などの題材となる。伊勢(いせ)(三重県)出身。

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世界大百科事典 第2版

たいらのかげきよ【平景清】
?‐1196(建久7)
平安末・鎌倉初期の武将。上総介藤原忠清の子。悪七兵衛景清と称された平家の侍大将。1180年(治承4)の源頼政との戦いをはじめ,源平争乱のなかで源義仲・行家との合戦,一ノ谷,備前児島の合戦など各地を転戦。壇ノ浦の戦で生きのび,95年(建久6)源頼朝に下り,翌年断食して死んだという。《平家物語》,謡曲,などで悲劇的な英雄としてとりあげられる。【田中 文英】
[人物像の形成と展開]
 景清について《平家物語》に語られる話としては,巻十一〈弓流〉の錣(しころ)引きがほとんど唯一のものである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

平景清
たいらのかげきよ
(?―1196)

平安末期の武将。藤原忠清(ただきよ)の子。1180年(治承4)の北陸道における木曽義仲(きそよしなか)との戦いに平家軍として参戦、続く84年(元暦1)の一ノ谷の戦いにも奮戦したが敗れた。翌年の屋島(やしま)の戦いで、武蔵(むさし)国住人美尾屋(みおのや)十郎の兜(かぶと)の錣(しころ)をとった景清は、「是(これ)こそ京童(わら)べのよぶなる上総悪七兵衛(かずさあくしちびょうえ)景清」と名のった(平家物語)。彼は叔父にあたる大日能忍(だいにちのうにん)を早合点から殺してしまい、悪七兵衛といわれていた。壇ノ浦における平氏滅亡後も生き延びた景清は、平氏再興を図る知忠(ともただ)(知盛(とももり)の子)の挙兵に加わった。その後95年(建久6)東大寺供養に上洛(じょうらく)した源頼朝(よりとも)に降(くだ)り、八田知家(はったともいえ)に預けられたが、やがて飲食を断って死んだという。謡曲『大仏供養』、浄瑠璃(じょうるり)『出世景清』(近松門左衛門作)などで有名である。

[田辺久子]

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精選版 日本国語大辞典

たいら‐の‐かげきよ【平景清】
平安末期の武将。忠清の子。体躯偉大で勇猛の聞こえ高く、叔父大日坊を殺して悪七兵衛(あくしちびょうえ)と呼ばれた。寿永二年(一一八三)維盛、知盛に従って源義仲・行家と戦った。また屋島の戦いでの奮戦は名高い。のち頼朝に降り、断食して死んだという。謡曲、浄瑠璃などで有名。生没年不詳。

出典:精選版 日本国語大辞典
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