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幸徳秋水【こうとく しゅうすい】

美術人名辞典

幸徳秋水
社会主義者。土佐生。本名伝次郎。青年期に自由民権運動に触れ、政治家を志す。上京して中江兆民師事。「万朝報記者時代に社会主義研究会入会、日本で最初の社会主義政党である社会民主党結成する。日露戦争反対を説いて退社堺利彦平民社を興し「平民新聞」を刊行する。次第に無政府主義に傾き、弾圧の厳しさが増すにつれ文筆活動に専念したが、明治四三年大逆事件連座した。明治44年(1911)歿、41才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

こうとく‐しゅうすい〔カウトクシウスイ〕【幸徳秋水】
[1871~1911]社会主義者。高知の生まれ。名は伝次郎。中江兆民門下。明治34年(1901)社会民主党を結成、即日禁止される。日露戦争反対し、堺利彦と「平民新聞」を創刊。のち、渡米。帰国後アナーキズム主張大逆事件検挙主犯として死刑になった。廿世紀之怪物帝国主義」「社会主義神髄」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

幸徳秋水 こうとく-しゅうすい
1871-1911 明治時代の社会主義者。
明治4年9月23日生まれ。中江兆民に師事。日露戦争開戦時には週刊「平民新聞」を創刊し,反戦論を展開。のちクロポトキンなどの影響で無政府主義思想をいだく。明治43年天皇暗殺計画の首謀者として検挙され(大逆事件),44年1月24日処刑された。41歳。高知県出身。本名は伝次郎。著作に「社会主義神髄」など。
格言など】原稿の書きかけが監獄内に散乱しているから,一度監房に戻して貰いたい(刑の執行をつげられて)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

こうとくしゅうすい【幸徳秋水】
1871‐1911(明治4‐44)
明治期の社会主義者。高知県生れ。本名伝次郎。土佐の自由民権運動の熱気のなかで育つ。17歳で上京したが,保安条例により東京を追放され,大阪で中江兆民の学僕となる。主権在民思想や抵抗権・革命権の思想を兆民から受け継ぐだけでなく,人格的感化も大きく,文章家としての資質もみがかれた。再び上京して国民英学会卒業後,各地の新聞記者生活を経て,1898年《万朝報》に入社するころから社会主義思想に関心寄せ,社会主義研究会に入会した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

こうとくしゅうすい【幸徳秋水】
1871~1911 社会主義者。本名、伝次郎。高知県生まれ。「万朝報」記者。日露戦争に反対し、平民社をおこして「平民新聞」を刊行。のち無政府主義者となり、大逆事件の主謀者とされて処刑された。著「社会主義神髄」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

幸徳秋水
こうとくしゅうすい
[生]明治4(1871).9.22. 高知,中村
[没]1911.1.24. 東京
社会運動家,無政府主義者。本名は伝次郎。林有造の書生となり,林包明の英学館に学ぶ。 1887年保安条例で東京を追われ,大阪で同郷の先輩中江兆民に師事,その思想的影響下に唯物論を学ぶ。のち上京して『自由新聞』『広島新聞』『中央新聞』『万朝報』の記者として活躍。 97年社会問題研究会の創立頃から社会主義運動にたずさわり,1901年堺利彦,安部磯雄,片山潜らとともに日本社会民主党を結成,即日禁止される。日露風雲急となるや『万朝報』によって非戦論を主張,日露開戦するや週刊『平民新聞』を発刊し反戦論を展開した。また同紙上に『共産党宣言』を初めて邦訳掲載した。 05年『平民新聞』の筆禍事件により新聞紙条例違反に問われ禁錮5ヵ月に処せられる。弾圧により平民社を解散後,05~06年にかけて半年間の渡米により社会主義より無政府主義への思想的変化を完了し,帰国後,片山潜らの議会主義に反対し直接行動を主張,このため両派は 07年日本社会党第2回大会で分裂。のち神田錦輝館の赤旗事件から純然たる無政府主義運動に入り,第2次桂内閣の大弾圧による大逆事件に連座,検挙され絞首刑となる。著書『廿世紀之怪物帝国主義』 (1901) ,『社会主義神髄』 (03) ,『平民主義』『基督抹殺論』ほか。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

幸徳秋水
こうとくしゅうすい
(1871―1911)
明治時代の社会主義者。明治4年9月22日高知県に生まれる。本名伝次郎(でんじろう)。酒造兼薬種業の家に育ち、聡明(そうめい)で神童といわれた。11歳ごろから自由民権運動に強い関心を抱き、1887年(明治20)上京して林有造(ゆうぞう)の書生となる。同年末保安条例発布で東京を追放され帰郷。88年11月大阪で中江兆民(ちょうみん)の学僕となり、その思想的、人格的感化を受ける。兆民も幸徳の才能を見抜き、「秋水」の号を贈る。91年4月ふたたび上京し、国民英学会を卒業する。『自由新聞』『広島新聞』『中央新聞』を経て、98年2月『萬朝報(よろずちょうほう)』に入社。同年11月社会主義研究会に入り、99年10月結成の普通選挙期成同盟会では片山潜(せん)らとともに幹事となる。1900年(明治33)8月立憲政友会の創立に際し、兆民の依頼で激烈な「自由党を祭る文」を『萬朝報』に発表し、01年4月『廿世紀(にじっせいき)之怪物帝国主義』を著し「軍人的、空威張(からいばり)的飴細工(あめざいく)的帝国主義」の実態を鋭く指摘する。同年5月安部磯雄(あべいそお)、木下尚江(きのしたなおえ)らと社会民主党を結成するが即日禁止される。7月内村鑑三(かんぞう)らと萬朝報社内に理想団を結成。12月足尾鉱毒問題で奔走する田中正造(しょうぞう)の依頼で直訴文を起草する。03年7月社会主義の目ざす方向とその実現方法を論じた『社会主義神髄』を刊行し、10月、日露開戦論に転じた萬朝報を堺利彦(さかいとしひこ)、内村とともに退社、11月堺らと平民社を結成して週刊『平民新聞』を発刊する。04年3月「与露国社会党書」を発表、日露両国労働者階級の連帯を訴える。11月堺とともに『共産党宣言』を訳載する。05年2月新聞紙条例違反で禁錮5か月の刑を受け入獄、獄中でクロポトキンの無政府主義思想に強い影響を受ける。
 出獄後保養を兼ねて渡米、ロシア社会革命党員フリッチ夫人の感化を受け、1906年6月岩佐作太郎(さくたろう)らと社会革命党を結成する。帰国後、日本社会党の歓迎会で「世界革命運動の潮流」を演説。さらに07年2月、日刊『平民新聞』に「余が思想の変化」を発表して労働者のゼネストによる直接行動論を展開、同月の日本社会党第2回大会で田添鉄二(たぞえてつじ)の議会政策論と激しく対立する。9月堺、山川均(ひとし)らと金曜会を結成。病気保養のため帰郷、クロポトキンの『麺麭(パン)の略取』翻訳に従事する。赤旗事件の報に接して08年8月上京、管野(かんの)すがと恋愛、同棲(どうせい)し、09年5月『自由思想』を発刊するが、発禁となり運動も停滞する。10年6月いわゆる大逆(たいぎゃく)事件に連座して検挙され、天皇暗殺計画の主謀者として明治44年1月死刑を宣告され、24日処刑された。[荻野富士夫]
『『幸徳秋水全集』9巻・別巻2巻(1966~72・明治文献) ▽絲屋寿雄著『幸徳秋水研究』(1967・青木書店) ▽大原慧著『幸徳秋水の思想と大逆事件』(1977・青木書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こうとく‐しゅうすい【幸徳秋水】
社会主義者。名は伝次郎。高知県出身。自由民権運動に参加。中江兆民の影響をうけ、万朝報記者となる。片山潜らと社会民主党を結成したが、即日禁止。堺利彦と平民社をおこし、「平民新聞」を発刊して日露戦争反対を唱える。のち渡米してアナーキズムに傾き、帰国後、直接行動論を主張。大逆事件の首謀者とされ、刑死。著に「廿世紀の怪物帝国主義」「社会主義神髄」。明治四~四四年(一八七一‐一九一一

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旺文社日本史事典 三訂版

幸徳秋水
こうとくしゅうすい
1871〜1911
明治時代の社会主義理論家
本名は伝次郎。高知県の生まれ。中江兆民に師事し自由民権思想の洗礼をうけ,のち社会主義者となる。1901(明治34)年社会民主党を結成。『平民新聞』を創刊し,日露戦争に反対して非戦論を主張。のち渡米しアナーキズムに傾き,帰国後,直接行動論を唱えた。'10年大逆事件の指導者として逮捕され,翌年絞首刑に処せられた。主著に『社会主義神髄』『廿世紀之怪物帝国主義』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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