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幸田露伴【こうだ ろはん】

美術人名辞典

幸田露伴
小説家・随筆家。東京生。名は成行、号は蝸牛庵。電信修技学校卒業後電信技手として北海道へ赴任するが、文学への思いやまず帰京。『露団々』『風流仏』などの作品によって理想派の作家として文名を確立、写実派の尾崎紅葉と人気を二分した。代表作に『五重塔』『一口剣』等。芸術院会員。文化勲章受章。昭和22年(1947)歿、80才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

こうだ‐ろはん〔カウだ‐〕【幸田露伴】
[1867~1947]小説家・随筆家・考証家。東京の生まれ。本名、成行(しげゆき)。別号、蝸牛庵(かぎゅうあん)など。明治22年(1889)「露団々」「風流仏」で名声を確立。尾崎紅葉と並ぶ作家となった。のち考証・史伝・随筆に新境地を開いた。第1回文化勲章受章。小説「五重塔」「風流微塵蔵」「運命」「連環記」、評釈芭蕉七部集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

幸田露伴 こうだ-ろはん
1867-1947 明治-昭和時代の小説家。
慶応3年7月23日生まれ。幸田延(のぶ),成友(しげとも),安藤幸(こう)の兄。幸田文(あや)の父。幼少より漢籍や江戸文学にしたしむ。明治25年「五重塔」で尾崎紅葉とならぶ文名をえる。のち史伝や随筆,考証の領域に執筆活動の重心をうつす。昭和12年第1回文化勲章。22年「評釈芭蕉(ばしょう)七部集」を完成させ,同年7月30日死去。81歳。江戸出身。逓信省電信修技学校卒。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)。著作はほかに小説「風流仏」,史伝「運命」など。
格言など】今の人ややもすれば益の道の可なるを知って損の道のを知らず

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

幸田露伴
1867〜1947(慶応3年〜昭和22年)【小説家・随筆家】急速に失われる江戸文化を嘆いた江戸っ子文士。 も多彩に活躍。明治〜昭和期の小説家・随筆家・考証家。本名成行(しげゆき)。別号蝸牛庵(かぎゆうあん)・脱天子など多数。江戸下谷三枚橋の幕府表坊主役の家に生まれる。兄弟は実業家幸田成常、千島探検の郡司成忠、歴史家幸田成友、音楽家幸田延安藤幸と多彩。電信修技学校卒業。1889年(明治22)電信技師として赴任した北海道余市から帰京、「露団々(つゆだんだん)」を発表。以後「風流仏」「五重塔」などで作家の地位を確立。写実の紅葉(尾崎紅葉)、理想主義の露伴と並び称された。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
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世界大百科事典 第2版

こうだろはん【幸田露伴】
1867‐1947(慶応3‐昭和22)
小説家。本名成行(しげゆき)。別号,蝸牛庵(かぎゆうあん)など。江戸の,代々幕府に仕えて有職故実にかかわったお坊主衆の家に生まれた。兄に千島探検家の郡司成忠,弟に歴史家の幸田成友,妹に音楽家の幸田延(のぶ),安藤幸(こう)などがいる。少年時から和漢の諸書を耽読し,独自の教養世界の土壌を培った。電信修技学校に学び,技手として北海道に赴任するが文学への思いやみがたく,職を放棄して東京へ帰り,尾崎紅葉らと交わりながら創作活動を開始し,《風流仏》(1889)によって新進作家の場を確保した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

こうだろはん【幸田露伴】
1867~1947 小説家・随筆家・考証家。江戸下谷生まれ。本名、成行しげゆき。別号、蝸牛庵かぎゆうあんなど。明治20年代、尾崎紅葉と並び称され、恋愛と芸道の理想を男性的気魄きはくに満ちた文章で表現。のち東洋的博学を基盤に随筆・史伝・考証に独自の境地を開拓。小説「風流仏」「五重塔」「連環記」、史伝「運命」、また「評釈芭蕉七部集」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

幸田露伴
こうだろはん
[生]慶応3(1867).7.23. 江戸
[没]1947.7.30. 市川
文学者。本名,成行 (しげゆき) 。通称,鉄四郎。別号,叫雲老人,蝸牛庵 (かぎゅうあん) ,脱天子など。少年時代,東京図書館に通い古今の文学書を読破した。『露 (つゆ) 団々』 (1889) で彗星のごとく登場,以来『風流仏』 (89) ,『一口剣』 (90) ,『五重塔』 (91~92) ,『風流微塵蔵』 (93~95,未完) などの名作を発表し,尾崎紅葉と並んで「紅露」時代と呼ばれる一時期を画した。一方『めさまし草』で森鴎外,斎藤緑雨と新作小説合評「三人冗語」を試み (96) ,『新小説』の編集にたずさわるなど,新人の育成にも努めた。さらに紀行文集『枕頭山水』 (93) ,随筆集『らん言』 (1901) ,『長語』 (01) ,考証『芭蕉七部集評釈』 (20~47) など活躍は多岐にわたっている。明治,大正,昭和と創作活動を続け,『天 (そら) 打つ浪』 (03~05,未完) ,『運命』や『連環記』 (40) などを書き継ぎ,西洋に追随した近代文学のなかで,東洋思想の伝統に根ざした独自の作風を大成した。 1937年第1回文化勲章受章。芸術院会員。幸田文の父。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

幸田露伴
こうだろはん
(1867―1947)
小説家、随筆家、考証家。本名成行(しげゆき)。別号蝸牛庵(かぎゅうあん)、雷音洞主(らいおんどうしゅ)、脱天子など。慶応(けいおう)3年7月23日(一説に26日)に江戸の下谷で、幕臣成延(しげのぶ)、母猷(ゆう)の第4子として生まれる。次兄郡司成忠(ぐんじなりただ)は海軍大尉、次弟成友(しげとも)は経済史学者、妹延子、幸子(さちこ)は音楽家として知られる。家は代々江戸城の表坊主衆を勤め、有職故実(ゆうそくこじつ)や遊芸に詳しく、露伴もまたその薫陶を受けて育った。幼少時から儒学を学び、また曲亭馬琴(ばきん)、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)らの近世小説や中国小説を耽読(たんどく)した。1883年(明治16)に父の勧めで電信修技学校に入学、翌年卒業後の実習を経て85年北海道の余市(よいち)に電信技手として赴任した。しかし、坪内逍遙(つぼうちしょうよう)の『小説神髄』などによって新しい文学への道を示唆されたことが、露伴の運命を変えることになった。文学への夢と職業との矛盾に悩んだ露伴は、ついに2年後の87年に「よし突貫して此(この)逆境を出(い)でむ」(『突貫紀行』)との決意で余市を脱出し、東京に帰った。帰京後、父の感化で聖書を読んだが、信仰とは無縁だった。同じころ井原西鶴(さいかく)の存在を知って影響を受け、また、仏教関係の書を耽読したという。
 1889年(明治22)『都の花』に処女作の短編『露団々(つゆだんだん)』を発表。ついで同年9月の『風流仏(ふうりゅうぶつ)』(『新著百種』第5号)の成功によって文名を得た。恋を失った彫刻師の精進(しょうじん)が女に似せて彫った仏像に生命を吹き込むという、恋愛の至上と芸道の神秘を仏教思想の枠組みを借りて描いた異色作で、東洋哲学を根底に据えた理想主義という露伴文学の独自性もすでにうかがえる。紅露時代として双称された尾崎紅葉(こうよう)が写実に徹し、女性描写に優れていたのに対して、露伴は一芸に生きる男の不退転の気力を雄渾(ゆうこん)な文体で描き続け、無骨な大工の創造への飽くなき執念と意地を描いた『五重塔』(1891~92)に一つの頂点を示している。鯨取りの名手の奔放な生涯を描いた『いさなとり』(1891)、多彩な登場人物の運命の転変を連環して、人生の諸相を彷彿(ほうふつ)しようとした『風流微塵蔵(みじんぞう)』(1893~95、中絶)などの野心作があり、また、90年に『日本之文華』に発表した『対髑髏(たいどくろ)』は、複式夢幻能の形式に擬して、数奇な宿命に翻弄(ほんろう)された女の煩悩(ぼんのう)と解脱(げだつ)を、虚と実のあやなす詩的空間に描いた佳作である。その後、森鴎外(おうがい)、斎藤緑雨(りょくう)らとともに、雑誌『めさまし草』(1896創刊)の創作合評(「三人冗語」「雲中語」)に参加したが、日露戦争後の自然主義中心の文壇動向を嫌悪したこともあって、文明社会の批判を意図した長編『天(そら)うつ浪(なみ)』(1903~05)の中絶後は創作の筆をほとんど廃するに至った。以後は考証、史伝、随筆の世界に新しい領域を開くことになるが、終始、文壇の主流から孤立しながら、老荘、儒仏などの東洋哲学への該博な造詣(ぞうけい)が世人の畏敬を集め続けた。その間、1895年に山室幾美子と結婚、1904年(明治37)に次女文(あや)が出生、また、08年から1年間、京都帝国大学(文科大学)の講師を務め、11年には文学博士の学位を受けている。
 大正期の露伴は、『修省(しゅうせい)論』(1914)など、人生への深い洞察を秘めた修養論を書き継ぐかたわら、1919年(大正8)に『改造』に発表した『運命』で史伝の最高峰を極めた。明(みん)の正史に取材して、帝位を追われた者、追った者の半生の対照を克明にたどりながら、人為を超えた「数」(天命)の帰趨(きすう)を鮮やかに表現した傑作である。翌20年には『芭蕉(ばしょう)七部集』の評釈にも着手している。これは心血を注いだ仕事として長く持続され、死の年に至ってようやく完成された。37年(昭和12)に文化勲章を受章、ふたたび創作に意欲を燃やし、小説集『幻談』(1941)所収の4編が書かれた。なかでも『連環記』(1941)は仏教の無常観を軸に、さまざまな人間たちの生と死を描き分け、人生の奥行を彷彿する最後の傑作で、『運命』とともに、近代小説の枠組みを大きく踏み越えた自在な手法が闊達(かったつ)な語り口とあわせ注目された。東洋の哲学や文学についての幅広い教養を駆使した露伴の文学はそれ自体として、西洋化を急いだ日本の近代に対する有力な批評的存在であった。昭和22年7月30日没。[三好行雄]
『『露伴全集』41巻・別巻2・付録1(1978~80・岩波書店) ▽柳田泉著『幸田露伴』増補版(1942・真善美社) ▽高木卓著『人間露伴』(1948・丹頂書房) ▽斎藤茂吉著『幸田露伴』(1949・洗心書林) ▽塩谷賛著『幸田露伴』全3巻(中公文庫) ▽篠田一士著「幸田露伴の空間」(『伝統と文学』所収・1964・筑摩書房)』

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精選版 日本国語大辞典

こうだ‐ろはん【幸田露伴】
小説家。文学博士。本名成行(しげゆき)。別号蝸牛庵。江戸に生まれる。はじめ雅俗折衷体による男性的・理想主義的作風で、尾崎紅葉と並び称された。のち、博学を駆使して史伝、考証、評釈にもすぐれた業績を残した。また、中国史、中国文学にも関心が深かった。学士院会員、芸術院会員。第一回文化勲章受章。小説「風流仏」「五重塔」「風流微塵蔵」「運命」、評論「一国の首都」、その他「評釈芭蕉七部集」など。慶応三~昭和二二年(一八六七‐一九四七

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