●広義門院【こうぎもんいん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
広義門院
こうぎもんいん
[没]正平12=延文2(1357).閏7.22. 京都
後伏見天皇の女御で花園天皇の准母。名は藤原寧子。父は左大臣西園寺公衡。母は従一位兼子。徳治1 (1306) 年上皇宮に入り,延慶2 (09) 年三宮に准じ,院号宣下。じゅん子内親王,光厳天皇,景仁親王,光明天皇を産む。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
広義門院 こうぎもんいん
正応(しょうおう)5年生まれ。西園寺公衡(きんひら)の娘。母は卿局(きょうのつぼね)。光厳(こうごん)天皇,光明天皇らを生む。延慶(えんきょう)2年(1309)准三宮(じゅさんぐう)となり院号をゆるされ,のち出家。一時的に北朝の天皇が不在となった「正平(しょうへい)一統」後,足利義詮(よしあきら)の要請で光厳上皇の第2皇子を後光厳天皇として即位させた。延文2=正平12年閏(うるう)7月22日死去。66歳。名は寧子。
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世界大百科事典 第2版
こうぎもんいん【広義門院】
後伏見天皇の女御,花園天皇の准母。左大臣西園寺公衡の娘,母は藤原兼子。名は寧子。1306年(徳治1)上皇となっていた後伏見の御所に上り,女御となって光厳・光明天皇,

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