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広隆寺【こうりゅうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

広隆寺
こうりゅうじ
京都市右京区太秦 (うずまさ) 蜂岡町所在の真言宗別格本山。山号を蜂岡山といい,蜂岡寺太秦寺 (はた) 寺,その他の呼称がある。秦河勝 (はたのかわかつ) が聖徳太子を受けて創立したという。天平年間,寺運は隆昌に向ったが,弘仁9 (818) 年焼失し,承和年間 (834~847) に道昌が再興。当時の寺観,仏像などは貞観 15 (873) 年の『広隆寺縁起資財帳』1巻 (国宝) に詳しい。久安6 (1150) 年再び火災にあい,永万1 (65) 年落慶供養会を行なった。寺内にある国宝,桂宮院本堂は,鎌倉時代に太子信仰の隆盛に伴い建立され,その中心として栄えた。飛鳥時代の『弥勒菩薩半跏像』をはじめ,伝長勢作『十二神将立像』,『阿弥陀如来坐像』『不空羂索観音立像』などの国宝彫刻,書跡,その他多数の文化財を収蔵する。

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デジタル大辞泉

こうりゅう‐じ〔クワウリユウ‐〕【広隆寺】
京都市右京区太秦(うずまさ)にある真言宗御室(おむろ)の寺。山号は蜂岡山。推古天皇11年(603)秦河勝(はたのかわかつ)聖徳太子の命を奉じて創建したと伝える。国宝の弥勒菩薩半跏像をはじめ多数の文化財を所蔵する。太秦寺。太秦太子堂。秦公寺(はたのきみでら)。蜂岡寺(ほうこうじ)。川勝寺葛野寺(かどのでら)。

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デジタル大辞泉プラス

広隆寺
京都府京都市右京区、太秦(うずまさ)にある寺院。真言宗御室派。山号は蜂岡山。本尊は聖徳太子。創建時の本尊と伝わる木造の弥勒菩薩半跏像は「宝冠弥勒」と呼ばれ、国宝指定第1号。

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世界大百科事典 第2版

こうりゅうじ【広隆寺】
京都市右京区にある寺。山号は蜂岡山。別に太秦寺(うずまさでら),蜂岡寺,川勝寺,秦公寺(はたのきみでら)ともいい,俗に太秦の太子堂と呼ばれる。真言宗別格本山。秦河勝(はたのかわかつ)が,603年(推古11)に聖徳太子から仏像をさずかり,その像を安置するため622年に創建したのが当寺で,京都では最古の寺院の一つである。創建当初の寺地は,いまの場所から北東数kmの地点とされ,現地には平安遷都時あるいはそれ以前に移った。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

広隆寺
こうりゅうじ

京都市右京区太秦(うずまさ)蜂岡(はちおか)町にある真言宗御室(おむろ)派大本山。蜂岡山(はちおかざん)と号し、俗に太秦の太子堂といわれる。古くは蜂岡寺、太秦寺(うずまさでら)、秦寺(はたでら)、秦公寺(はたのきみでら)、葛野寺(かどのでら)などともいわれた。本尊は聖徳太子像。山城(やましろ)(京都府)最古の名刹(めいさつ)で、四天王寺、法隆寺などとともに聖徳太子ゆかりの日本七大寺の一つ。当寺一帯は古くから渡来人の秦氏が住んでいた地域で、その長、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として603年(推古天皇11)に建立されたと『日本書紀』に伝える。古くは弥勒(みろく)像が本尊であった。その後、818年(弘仁9)と1150年(久安6)に焼失したが、そのつど再建された。

 現在の講堂(国重要文化財)は1165年(永万1)建立のもので、柱が朱塗りのため赤堂ともいう。堂内中央須弥壇(しゅみだん)には、中央に阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(国宝)、左右に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像と虚空蔵(こくうぞう)菩薩坐像(2体とも国重要文化財)の両脇侍(わきじ)があり、その後方外陣(げじん)左右に千手観音(せんじゅかんのん)立像と不空羂索(ふくうけんじゃく)観音立像(いずれも国宝)の2体の巨像が安置されている。境内の西方にある桂宮院(けいきゅういん)本堂(国宝)は単層の八角円堂(夢殿形式)、檜皮葺(ひわだぶ)きの美しい屋根をもつ鎌倉時代の建築である。堂内には聖徳太子像などを安置する。上宮王院(じょうぐうおういん)太子殿は1730年(享保15)の建立で、堂内には太子自作と伝える本尊太子像を安置し、毎年11月22日に開扉される。寺宝の保管を図るため1922年(大正11)に建てられた霊宝殿には、仏画、仏像、工芸、古文書など多くの文化財が保存されている。なかでも、創建当初の本尊といわれる木造弥勒菩薩半跏(はんか)像「宝冠(ほうかん)弥勒」(国宝)は、赤松材を用いた一木造(いちぼくづくり)で、美しい微笑をたたえ思索にふける半跏思惟(しい)像として名高い。もう1体の弥勒菩薩半跏像(国宝)は楠の一木造で、泣いているような表情のため「泣き弥勒」、あるいは「宝髻(ほうけい)弥勒」とも称され、異国情緒豊かな像である。以上のほかに十二神将立像などの彫刻や、平安時代における広隆寺の規模を伝える『広隆寺縁起資財帳』1巻、『広隆寺資財交替実録帳』1巻などの国宝のほか、数多くの国重要文化財の絵画、彫刻、美術工芸品があり、文化財の宝庫として知られている。

 境内にある大酒(おおさけ)神社の祭礼(10月12日夜)「太秦の牛祭」は、松明(たいまつ)や篝火(かがりび)で照らされるなかを特異な面をつけた摩多羅(またら)神が牛に乗って練る奇祭として名高い。

[眞柴弘宗]

『『日本古寺巡礼 京都13 広隆寺』(1977・淡交社)』

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精選版 日本国語大辞典

こうりゅう‐じ クヮウリュウ‥【広隆寺】
京都市右京区太秦(うずまさ)にある真言宗御室派の大本山。山号は蜂岡(ほうこう)山。推古天皇一一年(六〇三)秦河勝(はたのかわかつ)が創建。聖徳太子から下賜された仏像を安置。桂宮院本堂、阿彌陀如来坐像、千手観音立像、不空羂索観音立像、彌勒菩薩半跏像二体など国宝が多い。一〇月一〇日の牛祭は古来有名。蜂岡寺。太秦寺。太秦の太子堂。秦公寺(はたのきみでら)。秦寺。葛野寺(かどのでら)

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旺文社日本史事典 三訂版

広隆寺
こうりゅうじ
京都市右京区太秦 (うずまさ) にある真言宗の別格本山で,秦氏 (はたうじ) の氏寺
蜂岡山と号し,太秦寺 (うずまさでら) ・蜂岡寺ともいう。603年に渡来人の秦河勝 (はたのかわかつ) が聖徳太子よりもらいうけた仏像を安置するため創建したと伝える。国宝の『半跏思惟像』は弥勒菩薩 (みろくぼさつ) が半跏趺座して思考する形の飛鳥時代の仏像で,温和・清楚な美しさで知られる。アカマツでつくられ,朝鮮伝来説もある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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