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康有為【こう ゆうい】

美術人名辞典

康有為
清国・民国初の政治家・学者広東省南海生。初名は祖詒、字は広厦、号に長素・南海等。廖平公羊学び、陸象山・王陽明に私淑して研究し、仏教洋学も修める。立憲政治運動・変法自強運動を進め、光緒帝に用いられて中国近代化の先駆者として大きな役割を果たした。袁世凱の裏切りによる西太后ら守旧派のクーデターにより日本に亡命、保皇会を組織し保守派の中心として活躍した。民国16年(昭和2・1927)歿、70才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

こう‐ゆうい〔カウイウヰ〕【康有為】
[1858~1927]中国、末の思想家・政治家。南海(広東省)の人。号は長素。光緒(こうしょ)帝信任を受け変法自強策を唱えたが、西太后らの反撃で失脚し、日本に亡命。孫文らの革命派と対立した。大同書」など。カン=ユーウェイ。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

康有為 こう-ゆうい
1858-1927 中国の思想家,政治家。
咸豊8年3月19日生まれ。国家制度の改革をとなえ,1898年光緒帝の支持をえて憲法制定などをおこなおうとしたが,西太后らの保守派に弾圧されて失敗,日本に亡命した(戊戌(ぼじゅつ)の政変)。1927年3月21日中国で死去。70歳。広東省出身。字(あざな)は広廈。号は長素。別名に祖詒。著作に「大同書」「孔子(こうし)改制考」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

こうゆうい【康有為 Kāng Yŏu wéi】
1858‐1927
中国,清末の学者,政治家。字は広厦(こうか),号は長素,のちに更生と称した。広東省南海県の生れで,門人から南海先生とよばれた。はじめ同郷の朱次琦について宋学を主とする宋兼採の学をまなび,のち陽明学や仏教に傾き,さらに当時漢訳された欧米の書籍を通じて西洋近代の政治・学術をも研究した。1888年(光緒14),順天郷試受験のため入京,時の皇帝に政治制度の改革を要求する上書をおこなって政界波紋を投じた。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

康有為
こうゆうい
Kang You-wei; K`ang Yu-wei
[生]咸豊8(1858).3.19.
[没]1927.3.31. 青島
中国,清末~民国初期の思想家,政治家。広東省南海県の人。字は広厦 (こうか) 。号は長素。公羊学を奉じ,『新学偽経考』 (1891) ,『孔子改制考』 (1897) を著して正統派儒学を否定し,新しい儒教学説を掲げた。その間,日清戦争の直後,挙人を糾合して連名で講和反対,遷都,変法 (→変法自彊運動 ) を請願するいわゆる公車上書を行ない,その後も政治改革についての上書を再三試みた。光緒 24 (1898) 年第7回の上書が光緒帝を動かして維新の勅命がくだり,招かれて立憲君主制のもとに民族資本を発展させ,中国を近代化するというその主張に基づくいわゆる戊戌の変法を断行した。しかし西太后を中心とする保守派のクーデターにあい,100日で失脚して梁啓超とともに日本に亡命。保皇会を結成して幽閉された光緒の擁立をはかり,孫文の率いる革命党と対立した。辛亥革命後は上海にあって孔教会を結成し,孔子の教えによる秩序の回復を主張したり清朝の再興をはかるなど,時代から落伍した保守派の巨頭となり,やがて失意のうちに死去した。主著大同書』,詩文集『康有為文選』『南海先生詩集』などがあり,書道の名手でもある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

康有為
こうゆうい / カンユーウェイ
(1858―1927)

中国、清(しん)末民初の思想家、政治家。字(あざな)は長素。南海先生と号す。広東(カントン)省南海県出身。清仏戦争の敗北に大きな衝撃を受け、学問、思想を形成した、と自ら述べている。公羊(くよう)学を学んで『新学偽経考』『孔子改制考』『春秋董子(くんし)学』などを書き、儒教の経典を新たに解釈し直す可能性を切り開き、士大夫層の大きな反響をよんだ。日清戦争の敗北によっていっそう危機感を強め、同志を集めて政治改革の請願を行い、学会を組織し、士大夫層の啓蒙(けいもう)に努めた。進士の試験に合格したのち、光緒帝(こうしょてい)の知遇を得て、政体改革、富国強兵、人材登用、教育改革、孔子教設立などを上奏し、光緒帝はこれらの内容を上諭として発布し、改革を推進しようとした。これがいわゆる「戊戌(ぼじゅつ)の変法」である。しかしこの改革は、清朝内に圧倒的勢力をもつ西太后(せいたいこう)や保守派官僚の反対にあい、戊戌政変クーデターにより挫折(ざせつ)し、康は弟子の梁啓超(りょうけいちょう)とともに日本に亡命した。康有為の変法論は公羊学、大同思想を根幹とし、それに西ヨーロッパの進化論や政治思想、仏教などを結合した独自の思想をもち、その思想はその後『大同書』にほぼまとめられた。その後の康は孔子教設立を熱心に唱え、清末の革命運動や民国初年の新知識層の新文化運動などと対立した。

[伊東昭雄]

『野村浩一著『近代中国の政治と思想』(1964・筑摩書房)』『小野川秀美著『清末政治思想研究』(1969・みすず書房)』『竹内弘行著『康有為と近代大同思想の研究』(2008・汲古書院)』『村田雄二郎編『新編 原典中国近代思想史 第2巻――万国公法の時代』(2010・岩波書店)』『高田淳著『中国の近代と儒教』(紀伊國屋新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こう‐ゆうい カウイウヰ【康有為】
中国、清末・中華民国初の政治家、学者。字(あざな)は広厦。列強の中国侵略に対して危機感を強め、政体改革、富国強兵、人材登用の策を進言。光緒帝を擁して戊戌(ぼじゅつ)の変法といわれる改革を企てたが、西太后らの保守派のクーデターにより失敗。「春秋公羊伝」を信奉し、公羊学を大成。主著「大同書」「孔子改制考」。(一八五八‐一九二七

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