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建仁寺【けんにんじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

建仁寺
けんにんじ
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山開山栄西創建建仁2 (1202) 年で,開基源頼家。鎌倉幕府から施入されたと伝えられる寺域は「五条以北,鴨川以東」とされ広大であり,止観 (天台) と真言の三宗を兼学する道場として建てられた。当初は天台宗の別院として位置づけられたが,蘭渓道隆正元1 (59) 年に住持してから禅寺としての性格が強まり,深草天皇の諱「久仁」の仁字を避け「建寧寺」と号するようになった。建武年間 (1334~1337) に五山となり,興国2=暦応4 (41) 年には五山の第4位,元中3=至徳3 (86) 年には第3位になった。歴代の住持には五山文学に名を連ねる学僧たちが並び立ち,五山文学の府として権威を誇り,「建仁寺の学者面」ともいわれた。伽藍はたびたび火災にあい,その都度復興されてきた。正嘉2 (1258) 年の火災では円爾弁円が復興し,天正年間には安国寺恵瓊が再建に努力したという。天明8 (1788) 年の『禅宗済家五山建仁寺末寺帳』には,末寺の総計 182寺を数え,同年の『禅宗臨家五山建仁寺派下廃壊改派寺院牒』には,総計 181寺が書上げられている。国宝俵屋宗達筆紙本金地著色『風神雷神図屏風』をはじめ,紙本墨書『明恵上人筆消息』『一山一寧墨跡』 (1幅) ,『拓石橋可宣筆三自省』 (3幅) などの墨跡,絹本著色『十錬四翫漢像』,紙本墨画『竹林七賢図』,紙本墨画『花鳥図』,紙本淡彩『琴棋書画図』,紙本墨画『山水図』,紙本墨画『雲龍図』などの絵画や,勅使門方丈が重要文化財指定されている。毎年4月 20日には開山忌が催され,茶礼の雰囲気を残す「四つ頭茶礼」が行われる。

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デジタル大辞泉

けんにん‐じ【建仁寺】
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山。山号は東山。開創は建仁2年(1202)、開基は源頼家、開山は栄西京都五山の第三位。初め天台真言の兼学。方丈や塔頭(たっちゅう)の襖絵(ふすまえ)には海北友松(かいほうゆうしょう)の作が多い。俵屋宗達筆の風神雷神図屏風(びょうぶ)は国宝、勅使門・方丈・竹林七賢図などは重文
建仁寺垣」の

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けんねん‐じ【建仁寺】
けんにんじ(建仁寺)」の音変化。

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デジタル大辞泉プラス

建仁寺
△京都府京都市東山区▽にある寺院。「けんねんじ」とも読む。臨済宗建仁寺派大本山。山号は東山(とうざん)。1202年開創。本尊は釈迦如来。京都五山のひとつ。国宝の風神雷神図屏風(俵屋宗達作)など、数多くの文化財を保有

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世界大百科事典 第2版

けんにんじ【建仁寺】
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の本山。開山は明庵栄西。栄西は宋より帰国すると,博多聖福寺,鎌倉寿福寺を拠点として禅法を挙揚(こよう)したが,彼の念願は,王城の地たる京都への進出であった。さいわい帰依者であった将軍源頼家が,鴨川以東で,五条以北四条以南の地を施入したので,1202年(建仁2)この地に真言・止観・禅の三院併置の建仁寺を建立した。《沙石集》に〈国の風儀に背かずして,教内をひかへて,戒律・天台・真言なんど相兼ねて,一向の唐様を行ぜられず,時を待つにや〉と記しているごとく,栄西は旧仏教勢力の金城湯池たる京都において,極力彼らとの摩擦をさけ,建仁寺を教禅兼修の道場としたのである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

けんにんじ【建仁寺】
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の本山。山号は東山。1202年(建仁2)源頼家の寄進をうけ、栄西を開山として創建。天台・真言兼修の道場であったが、蘭渓道隆の時代に純粋の禅宗寺院となった。けんねんじ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

建仁寺
けんにんじ
一般に「けんねんじ」ともよばれる。京都市東山区小松町にある臨済(りんざい)宗建仁寺派の大本山。東山(とうざん)と号する。1202年(建仁2)将軍源頼家(よりいえ)が栄西(えいさい)(千光(せんこう)国師)を開山として建立。日本臨済宗の開祖とされる栄西は、初め密教を学んだが、1187年(文治3)にふたたび中国(宋(そう))に渡って臨済宗黄龍(おうりょう)派の禅を学んだ。1191年(建久2)帰国後、禅を広めようとしたが天台宗徒の反対にあったので、『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』を著して天台側との融和を図ろうとした。鎌倉幕府の保護のもとに建てられた京都最初の禅院である建仁寺も、このような情勢のもとに、初めは真言院、止観院(しかんいん)を置いた天台、真言、禅、さらには戒をも兼修する寺であった。栄西の弟子には退耕行勇(たいこうぎょうゆう)、了然明全(りょうねんみょうぜん)など傑出した禅僧が出たが、いずれも天台、真言を兼修する禅であった。1258年(正嘉2)円爾弁円(えんにべんえん)が住持となり、65年(文永2)宋の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が11世となって楊岐(ようぎ)派の禅を説き、建仁寺は初めて純粋の修禅道場となった。1341年(興国2・暦応4)に足利尊氏(あしかがたかうじ)によって五山の第四位に、さらに86年(元中3・至徳3)足利義満(よしみつ)によって五山の第三位と定められた。南北朝時代以後、義堂周信(ぎどうしゅうしん)、竜山徳見(りゅうざんとくけん)、江西龍派(こうさいりゅうは)などが住持して五山文学の中心となったが、応仁(おうにん)の乱(1467~77)により荒廃し、さらに1552年(天文21)兵乱により堂宇を焼失した。文禄年間(1592~96)安国寺恵瓊(えけい)が安芸(あき)(広島県)安国寺の方丈を移建し、また鎌倉の東福寺の茶堂を移して本堂としたのち、ふたたび寺運盛んとなった。江戸時代には徳川幕府の五山派寺院に対する保護と統制を受け、諸堂の再建、修造が行われた。本尊は釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)で、脇侍(きょうじ)に仏弟子の阿難(あなん)と迦葉(かしょう)を配している。
 建造物のうち、方丈と勅使門は国の重要文化財。勅使門は俗に「矢の根門」といわれ、平氏の六波羅(ろくはら)邸の遺構とも伝える。仏殿(法堂(はっとう))の東に二つの鐘楼があり、西の鐘は嘉暦(かりゃく)年間(1326~29)に鋳造したもの、東の鐘は、栄西のときから1日に百八声、陀羅尼経(だらにきょう)を読誦(どくじゅ)しながら鳴らしてきたので「陀羅尼の鐘」といわれ、東山名物の一つとされた。開山堂は興禅護国院(こうぜんごこくいん)といい、栄西の像を安置しており、堂の前の菩提樹(ぼだいじゅ)は栄西が宋より帰国するとき持ち帰ったものといわれる。そのほか、寺内には中国元から来日した清拙正澄(せいせつしょうちょう)を開基とする禅居庵(ぜんこあん)、摩利支天(まりしてん)の坐像を安置する摩利支天堂、経蔵、浴室などがある。西側の一帯は昔からの竹垣があり、一般に「建仁寺垣」とよばれる。塔頭(たっちゅう)寺院は最盛時には64院あったが、焼失や合併などのため、現在は西来(さいらい)院、両足(りょうそく)院、霊洞(れいとう)院など14院だけが残る。栄西は中国から茶をもたらし、日本に茶の栽培、喫茶の習慣を普及したといわれ、4月下旬の開山忌には茶会「建仁寺茶礼」が催される。寺宝は、俵屋宗達筆『風神雷神図屏風(びょうぶ)』(国宝)のほか、「十六羅漢(らかん)画像」「山水図」「竹林七賢図」などの絵画、明恵上人(みょうえしょうにん)消息、一山一寧(いっさんいちねい)墨跡(いずれも国指定重要文化財)など数多い。[菅沼 晃]
『『古寺巡礼 京都6 建仁寺』(1976・淡交社)』

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事典・日本の観光資源

建仁寺
(京都府京都市東山区)
京都五山」指定の観光名所。

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精選版 日本国語大辞典

けんにん‐じ【建仁寺】
[1] 京都市東山区小松町にある臨済宗建仁寺派の大本山。京都五山の一つ。山号は東山。建仁二年(一二〇二)源頼家が宋の百丈山に擬して造営、栄西を開山とした。はじめ真言、天台、禅の三宗兼学の道場であったが、一一世蘭渓道隆のとき禅刹となる。数度にわたり罹災し、天正年間(一五七三‐九二)安国寺恵瓊(えけい)が復興に努めた。勅使門の南の建仁寺垣が名高い。けんねんじ。けんにん。
[2] 〘名〙 「けんにんじがき(建仁寺垣)」の略。
※随筆・嬉遊笑覧(1830)一上「建仁寺垣 〈略〉ふとき竹を四ツ割にして垣とするを建仁寺といふ」

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けんねん‐じ【建仁寺】
[1] 「けんにんじ(建仁寺)(一)」の変化した語。
※かた言(1650)四「建仁寺(けんにんじ)を、けんねんじ」
[2] 〘名〙
② 三個のさいころを用いて行なう賭博。みつぼ。
※御触書寛保集成四九・慶安元年(1648)二月「前々より被仰付候はくち、はうひき、けんねんし、かるた、何にても諸勝負堅仕間敷事」

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旺文社日本史事典 三訂版

建仁寺
けんにんじ
京都市東山区にある臨済宗の寺院。京都五山の一つ
建仁寺派の本山で,1202年源頼家が創建。栄西 (えいさい) が開山。初め真言・天台・禅の3宗兼学の寺であったが,11世蘭溪道隆のとき禅宗のみの寺院となり,のち京都五山の第3位に列した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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