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張学良【ちょうがくりょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

張学良
ちょうがくりょう
Zhang Xue-liang
[生]光緒27(1901).6.3. 遼寧,海城
[没]2001.10.14. ホノルル
中国,東北の軍閥。奉天派の領袖張作霖の長男。 1919年東三省武備学堂を卒業し,20年の安直戦争に1旅団を率いて参加。 28年6月張作霖が日本軍により爆殺されると,後継者として東北の実権を掌握,蒋介石の国民政府と提携するにいたり,12月 29日東北全土で青天白日旗を掲揚した (易幟) 。 31年の満州事変以後,国府の対日方針に従って無抵抗主義をとり,東北を日本軍の占領にゆだねた。紅軍の長征に際して西北剿匪副司令に任命されたが,ひそかに紅軍と停戦協定を結び,36年 12月紅軍討伐を督励するため西安に到着した介石を逮捕監禁し,内戦停止,国府改組,政治犯釈放など8項目の主張を全国に通電した (西安事件) 。周恩来らの調停で蒋介石は内戦停止,一致抗日を受入れて釈放されたが,張自身は官職を剥奪され,10年の禁錮刑に処せられた。 49年蒋介石の台湾逃亡に伴い張も連行され,90年まで自宅軟禁状態にあった。 94年名誉回復,同年ハワイに移住した。

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デジタル大辞泉

ちょう‐がくりょう〔チヤウガクリヤウ〕【張学良】
[1898~2001]中国の軍人・政治家。海城県(遼寧(りょうねい)省)の人。字(あざな)は漢卿(かんけい)。張作霖長男。父の爆死後、日本の反対に抗して、国民政府のもとで全東北の実権を握ったが、満州事変によって下野。外遊後、内戦の停止、抗日救国を要求して蒋介石を監禁する西安事件を起こしたため、禁錮刑に処された。チャン=シュエリアン。

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チャン‐シュエリアン【張学良】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

張学良 ちょう-がくりょう
1901-2001 中国の軍人,政治家。
光緒27年6月1日生まれ。張作霖(さくりん)の長男。1928年父の死後,中国東北部(東三省)の実権をつぎ,抗日色をつよめて国民政府の蒋介石(しょう-かいせき)の支配下にはいる。1936年延安で中国共産党の周恩来と内戦停止に合意,西安に蒋を監禁して共産党との統一戦線をせまり(西安事件),第2次国共合作の端緒をつくる。のち台湾に幽閉され,1990年軟禁を解かれた。2001年10月14日ハワイ州ホノルルで死去。100歳。遼寧省出身。東三省陸軍講武学堂卒。
【格言など】夫子の道は忠恕のみ(1990年代末「現在の日本人にひとこと」との問いにこたえて)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ちょうがくりょう【張学良 Zhāng Xué liáng】
1898‐2001
中国の軍人,政治家。東北地方を地盤とする軍閥張作霖の長男。1919年東三省武備学堂卒業。28年6月,張作霖が日本の関東軍の謀略によって爆殺されると,その後を継いで30歳で東三(遼寧,吉林,黒竜江の3省)の実権を握った。彼は日本の期待に反して蔣介石南京国民政府に忠誠を誓い,同年12月,東三省は国民政府の行政下に入っていっせいに青天白日満地紅の中華民国国旗を掲げた。しかし20余万の東北軍は,その後も依然として張学良個人に忠誠を保ちつづけた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

張学良
ちょうがくりょう / チャンシュエリヤン
(1901―2001)

中国の軍人、政治家。東北の遼寧(りょうねい)省生まれで、軍閥・張作霖(ちょうさくりん)の長男。1919年東三省の武備学堂卒、軍事・銀行などの役職を歴任したのち、1928年に作霖爆死に伴い東北の実権を受け継ぎ、日本の圧迫に抗して南京(ナンキン)の国民政府による中国の統一に努めた。1931年の満州事変には抗日を主張したが蒋介石(しょうかいせき)の意見とあわず不戦のまま東北を去り、1933年には下野、外遊。帰国後は国共内戦の前線指揮にあたり、1935年には西北剿匪(そうひ)副司令となり、長征後の八路軍と対峙(たいじ)する間に、内戦停止・一致抗日を主張、1936年西安(せいあん)事件を起こして蒋介石を幽閉し停戦を主張要求した。蒋介石の釈放後、官職を剥奪(はくだつ)され10年の禁錮刑に処された。その後、長く自宅軟禁状態におかれていた。1994年以降はハワイに居住。

[加藤祐三]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ちょう‐がくりょう チャウガクリャウ【張学良】
中国の軍人。父張作霖(ちょうさくりん)の爆死後、中国東北の実権を握った。満州事変後、中国東北失陥の責を負って下野外遊。帰国後、蒋介石の内戦政策に反発、一致抗日を訴えるため一九三六年西安事件を起こし、第二次国共合作の契機を作った。(一九〇一‐二〇〇一

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