●彦根藩【ひこねはん】
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彦根藩
ひこねはん
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彦根藩
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藩名・旧国名がわかる事典
ひこねはん【彦根藩】
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世界大百科事典 第2版
ひこねはん【彦根藩】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
彦根藩
ひこねはん
近江(おうみ)国(滋賀県)彦根に居城をもった譜代(ふだい)藩。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いで東軍の軍奉行(いくさぶぎょう)として戦功のあった井伊直政(なおまさ)は、翌年石田三成(みつなり)にかわり佐和山(さわやま)城主に封ぜられ、近江国で15万石、上野(こうずけ)国(群馬県)で3万石、計18万石の大名となった。1602年直政は戦傷がもとで死去、嫡子直継(なおつぐ)(のち直勝(なおかつ)と改名)は翌年彦根山に築城工事に着手し、20年の歳月をかけ1622年(元和8)彦根城の完成をみた。しかし、この間、直継は病弱のため、庶弟直孝(なおたか)が名代として大坂冬・夏の両陣に参戦して、武威をあげ、1615年(元和1)徳川家康は直孝をもって家督を継がせ、直継には3万石を分与し、上野国安中(あんなか)城に封じた。直孝は戦功により相次ぐ加増を受け、30万石の封地と幕府城付米(しろつきまい)5万石を預かり、35万石の格式を有する譜代大名となり藩制の基礎を固めた。直孝は幕閣にあって徳川秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)・家綱(いえつな)3代の将軍を補佐し、また大老の家格により、初代直政から16代直憲(なおのり)の間、大老職につく藩主は6代を数えた。
江戸中期以降、藩財政の悪化に伴い、1799年(寛政11)国産方を設置し、特産品の浜縮緬(はまちりめん)、浜蚊帳(はまかや)などの保護育成と統制による専売施行により、商業利潤の追求に乗り出した。また、このころ藩校の稽古館(けいこかん)(のち弘道館(こうどうかん)、さらに文武館と改称)を開校し、蔵書数2万部30万巻を蔵したという。1850年(嘉永3)襲封した直弼(なおすけ)は58年(安政5)大老に就任し、安政(あんせい)五か国条約や将軍継嗣(けいし)問題などで攘夷(じょうい)派を弾圧したため、60年(万延1)3月桜田門外の変で斃(たお)れた。62年(文久2)この罪を問われ10万石を減知。67年(慶応3)王政復古の大号令に彦根藩は朝廷側につき、69年(明治2)の版籍奉還により直憲は彦根知藩事に任命され、71年7月廃藩に至った。藩域は、彦根、長浜、犬上(いぬかみ)県を経て、滋賀県に編入。
[森 安彦]
『中村直勝編『彦根市史 上冊』(1960・彦根市)』
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