●律宗【りっしゅう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
律宗
りっしゅう
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デジタル大辞泉
りっ‐しゅう【律宗】
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世界大百科事典 第2版
りっしゅう【律宗】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
律宗
りっしゅう
仏教の宗派。中国では十三宗の一、日本では奈良時代の南都六宗の一つ。律とは毘奈耶(びなや)(サンスクリット語ビナヤvinayaの音訳)の漢訳で、比丘(びく)・比丘尼(びくに)の守るべき規範のことである。出家者の教団における規定の集成書を律蔵といい、インドから中国へ伝えられた。インド各部派の伝えた律蔵のうち4種が漢訳されたが、そのうち「四分律」によって中国で南山律宗、相部宗(そうぶしゅう)、東塔宗(とうとうしゅう)の律宗が唐代に成立した。なかでも唐初期に南山大師道宣(どうせん)の開いた南山律宗は、本来は部派仏教の四分律を大乗的に受容し、長く命脈を保った。南山律宗を受けた鑑真(がんじん)は、12年間の苦難のすえ日本に渡り、754年(天平勝宝6)東大寺に入った。そしてここに戒壇院(かいだんいん)を設けて、日本における授戒の根本道場とし、759年(天平宝字3)唐招提寺(とうしょうだいじ)を開創し、戒律研究の中心とした。日本における授戒は鑑真にまかされ、日本の律宗が発足した。また九州大宰府(だざいふ)の観世音寺(かんぜおんじ)と下野(しもつけ)(栃木県)の薬師寺にも戒壇が設けられ、正式の僧になろうとする者はこの3戒壇のいずれかで受戒の儀式を行わねばならなかった。
百済(くだら)の仏教が戒律を重視していたこともあって、日本の仏教でも伝来当初から戒律が重視されていた。戒律の条項は、在家には五戒と六斎日(ろくさいにち)に守るべき八戒、出家には沙弥(しゃみ)・沙弥尼の十戒、学法女の六法、比丘・比丘尼の具足戒(ぐそくかい)(比丘は二百五十戒、比丘尼は三百四十八戒)の区別がある。比丘・比丘尼はそれぞれの戒律を守ることを誓う(受戒)儀式を、10人の正式な僧(辺地で5人)の立会いのもとで行うことによって初めてそれぞれの資格が認められた。鑑真以前は受戒の儀式も教えどおり行われず、私度僧(官許を得ていない僧)も増え、儀式制度の確立が必要であった。このために来日を要請されたのが鑑真で、戒壇が設立されると授戒は鑑真に任されることになった。
日本では律宗は、仏教で重視される経・律・論のうち律を、戒・定(じょう)・慧(え)のうち戒を中心とするため戒律宗ともよばれる。平安初期、天台宗が四分律を用いず、大乗戒のみによる大乗戒壇設立を行ったこともあり、律宗は衰退したが、平安末期には戒律の復興の必要性が痛感され、中ノ川実範(じちはん)(?―1144)はその復興に着手した。覚盛(かくじょう)は「自誓受戒(じせいじゅかい)」制度の確立により唐招提寺中興の祖とされる。ほかに、泉涌寺(せんにゅうじ)開山俊芿(しゅんじょう)は入宋(にっそう)して北京律(ほっきょうりつ)を伝えた。西大寺(さいだいじ)の叡尊(えいぞん)、忍性(にんしょう)の系統は密教と結び付き、現在は真言律宗(しんごんりっしゅう)と称しており、唐招提寺系が律宗を公称する。
律宗は寺院数28、教師数17、信者数2万3950。真言律宗は寺院数91、教師数128、信者数10万2400(『宗教年鑑』平成26年版)。
[田村晃祐]
『石田瑞麿著『日本仏教における戒律の研究』(1963・在家仏教協会)』▽『細川涼一著『中世の律宗寺院と民衆』(1987・吉川弘文館)』▽『佐藤達玄著『律宗要綱』(1994・大蔵出版)』
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精選版 日本国語大辞典
りっ‐しゅう【律宗】
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旺文社日本史事典 三訂版
律宗
りっしゅう
戒律を重んじた学派。唐僧鑑真 (がんじん) が754年に来日して東大寺に戒壇院を建て,さらに唐招提寺を創建して本格的に確立した。平安時代には密教の流行でふるわず,鎌倉時代に俊芿 (しゆんじよう) ・叡尊 (えいそん) らが出て復興につとめた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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