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後円融天皇【ごえんゆうてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

後円融天皇
ごえんゆうてんのう
[生]正平13=延文3(1358).12.12. 京都
[没]明徳4(1393).4.26. 京都
北朝第5代の天皇 (在位 1371~82) 。名は緒仁 (おひと) 。法名は光浄。後光厳天皇の第2皇子。母は崇賢門院藤原仲子。建徳2=応安4 (71) 年践祚文中3=応安7 (74) 年 17歳で即位弘和2=永徳2 (82) 年皇太子幹仁 (後小松天皇) に譲位し,院政を行なった。和歌をよくし,『新後拾遺和歌集』の勅撰がある。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ごえんゆう‐てんのう〔ゴヱンユウテンワウ〕【後円融天皇】
[1359~1393]北朝第5代天皇在位、1371~1382。後光厳天皇の第2皇子。名は緒仁(おひと)。法名、光浄。室町幕府第3代将軍足利義満に擁立されて即位。譲位後、院政を行った。和歌に長じ、新後拾遺集を勅撰。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

後円融天皇 ごえんゆうてんのう
1359*-1393 南北朝時代,北朝第5代天皇。在位1371-82。
延文3=正平(しょうへい)13年12月12日生まれ。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は藤原仲子(崇賢門院)。父のあと即位。在位11年で6歳の皇子幹仁(もとひと)(後小松天皇)に譲位し,院政をおこなった。3代将軍足利義満の時代で,室町幕府の体制も安定し,明徳3年南北朝の合一がなった。能書家としても知られる。明徳4年4月26日死去。36歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は緒仁(おひと)。法名は光浄。歌集に「後円融院御百首」,日記に「後円融院御記」。
【格言など】しぐれゆく外山(とやま)の雲に鳴く鹿の思ひや晴れぬ秋の夕ぐれ(「新続古今和歌集」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ごえんゆうてんのう【後円融天皇】
1358‐93(正平13∥延文3‐明徳4)
北朝第5代の天皇。在位1371‐82年。名は緒仁。在位期間は足利義満の将軍在職の前半で,幕府隆盛期と重なる。皇室および公家文化の伝統を守ることに努力し,御子左為遠らに命じて《新後拾遺和歌集》を撰進させたりした。後小松天皇に譲位後も院政をしいた。陵所は京都市伏見区深草坊町にある(深草北陵)。【飯倉 晴武】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ごえんゆうてんのう【後円融天皇】
1358~1393 北朝第五代天皇(在位1371~1382)。名は緒仁おひと。後光厳天皇の第二皇子。「新後拾遺和歌集」を撰進させた。後小松天皇に譲位後は院政を行なった。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

後円融天皇
ごえんゆうてんのう
(1358―1393)
北朝第5代天皇(在位1371~82)。名は緒仁(おひと)、法名光浄。後光厳(ごこうごん)天皇の第2皇子。母は崇賢門院藤原仲子(父広橋兼綱)。1371年(応安4)3月践祚(せんそ)、74年12月即位した。82年(永徳2)太子幹仁(もとひと)(後小松(ごこまつ)天皇)に譲位、院政を行った。当時の情勢はわりあい安定、そのため北朝の天皇としては平穏な生活を送り、和歌をよくし、『新後拾遺(しんごしゅうい)和歌集』を勅撰(ちょくせん)させた。陵墓は京都市伏見(ふしみ)区深草坊町にある深草北陵。[小野信二]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

後円融天皇 (ごえんゆうてんのう)
生年月日:1358年12月12日
南北朝時代の北朝第5代の天皇
1393年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ごえんゆう‐てんのう ゴヱンユウテンワウ【後円融天皇】
南北朝時代、北朝の第五代天皇。後光厳天皇の皇子。母は崇賢門院仲子。名は緒仁(おひと)。応安四年(一三七一)践祚(せんそ)し、同七年即位。在位一二年。没後剃髪、法名は光浄。延文三~明徳四年(一三五八‐九三

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