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後小松天皇【ごこまつてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

後小松天皇
ごこまつてんのう
[生]天授3=永和3(1377).6.26. 京都
[没]永享5(1433).10.20. 京都
第 100代の天皇 (在位 1382~1412) 。名は幹仁 (もとひと) 。後円融天皇の第1皇子。母は通陽門院藤原厳子 (三条公忠の娘) 。弘和2=永徳2 (1382) 年6歳で即位し,太政大臣二条良基を摂政に任じた。元中9=明徳3 (92) 年,南北両朝が合一されると後亀山天皇から神器を受けた。応永 19 (1412) 年皇太子躬仁親王 (称光天皇) に譲位し,太上天皇として院政を行なった。永享3 (31) 年に出家し,法諱を素行智と称した。天皇の歌は『新続古今集』に収められている。なお宸筆正本は焼失して伝わらないが,『後小松天皇宸記』というべきものがある。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ごこまつ‐てんのう〔‐テンワウ〕【後小松天皇】
[1377~1433]第100代天皇。在位1382~1412。北朝後円融天皇皇子。名は幹仁(もとひと)。元中9=明徳3年(1392)南北朝の合一がなって南朝後亀山天皇から神器を継承称光天皇に譲位後、院政を執った。

出典:小学館
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編集協力:田中牧郎、曽根脩
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

後小松天皇 ごこまつてんのう
1377-1433 南北朝-室町時代,第100代天皇(北朝第6代)。在位1382-1412。
永和3=天授3年6月27日生まれ。後円融天皇の第1皇子。母は藤原厳子(たかこ)(通陽門院)。父のあと6歳で即位。室町幕府は3代将軍足利義満(よしみつ)の全盛期で,明徳3=元中9年義満の提案をうけいれた南朝の後亀山(ごかめやま)天皇から神器をうけ,南北朝合一がなった。称光天皇,後花園天皇を即位させ,院政をおこなった。一休宗純は実子。永享5年10月20日死去。57歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は幹仁(もとひと)。法名は素行智。著作に「むくさのたね」,日記に「後小松院宸記(しんき)」。
【格言など】あはれなり小田もる庵(いほ)におくかびの煙や民の思なるらむ(「新続古今和歌集」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ごこまつてんのう【後小松天皇】
1377‐1433(天授3∥永和3‐永享5)
第100代に数えられる南北朝末から室町初期の持明院統の天皇。在位1382‐1412年。名は幹仁(もとひと)。法諱は素行智。後円融天皇の第1皇子。生母は三条公忠の娘厳子(通陽門院)。6歳で即位,11歳で元服ののち,1392年(元中9∥明徳3)閏10月,両朝合一にさいして大覚寺統の後亀山天皇より神器を受けた。1412年(応永19)8月,皇太子実仁(みひと)親王(称光天皇)に譲位して院政をとり行う。31年(永享3)に出家。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ごこまつてんのう【後小松天皇】
1377~1433 第一〇〇代天皇(在位1382~1412)。名は幹仁もとひと。後円融天皇の皇子。北朝天皇として践祚せんそしたが、1392年両朝合一の和議が成立して、南朝後亀山天皇から神器を譲り受けた。称光天皇に譲位後は院政を行い、1431年出家。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

後小松天皇
ごこまつてんのう
(1377―1433)
初めは北朝第6代の天皇、のち第100代天皇(在位1382~1412)。名は幹仁(もとひと)。法名素行智。後円融(ごえんゆう)天皇の第1皇子。母は通陽門院藤原厳子(げんし)。父天皇の譲を受けて位につき、1392年(元中9・明徳3)閏(うるう)10月、南北両朝の合一により南朝後亀山(ごかめやま)天皇から神器を受け、後小松天皇の一統に帰した。1412年(応永19)位を皇子称光(しょうこう)天皇に譲って院政をとり、31年(永享3)出家後もこれを続け、永享(えいきょう)5年10月20日没す。御陵深草北陵に葬る。[村田正志]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

後小松天皇 (ごこまつてんのう)
生年月日:1377年6月27日
室町時代の第100代(北朝第6代)の天皇
1433年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ごこまつ‐てんのう ‥テンワウ【後小松天皇】
第一〇〇代天皇。後円融天皇の第一皇子。母は三条公忠女通陽門院厳子。名は幹仁(もとひと)。永徳二年(一三八二)北朝の天皇となったが、明徳三年(一三九二)後亀山天皇から神器を継承し、ここに南北朝合一が成立。応永一九年(一四一二)譲位して院政を行なう。永享三年(一四三一)出家。日記「後小松院宸記(しんき)」がある。法名素行智。永和三~永享五年(一三七七‐一四三三

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

後小松天皇
ごこまつてんのう
1377〜1433
南北朝末期・室町前期の天皇(在位1382〜1412)
後円融天皇の第1皇子。初め北朝の皇統を継いだが,1392年南朝の後亀山天皇より神器を継承し,南北朝合体を実現。以後持明院統が皇位についた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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