●後金【こうきん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
後金
こうきん
Hou-jin; Hou-chin
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デジタル大辞泉
あと‐きん【後金】
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こう‐きん【後金】
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世界大百科事典 第2版
こうきん【後金 Hòu Jīn】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
後金
こうきん
中国、清(しん)朝建国以前(1616~36年の間)の国号。建州左衛(けんしゅうさえい)出身の太祖ヌルハチは女直(じょちょく)(女真(じょしん))民族の統合に伴い、1616年に八旗の諸貴族、大臣に推されて、スレ・ゲンギエン・ハン(聡明(そうめい)なる汗)の尊号を受けてハンの位についた。のちになって編纂(へんさん)された『満州実録』(清朝の官撰(かんせん)歴史書)では、このときを後金国(金朝の後継王朝という意)の建国、天命元年としている。当時、女直民族統合国家の名称としてはマンジュ国があり、一方、対外的には、明(みん)や朝鮮に対して、金(アイシン)、後金国が使われていた。後金は2代太宗ホンタイジの1636年、満州・蒙古(もうこ)・漢人を支配する中央集権的な国家への転換期に「大清」の国号に変わった。
[細谷良夫]
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精選版 日本国語大辞典
あと‐がね【後金】
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あと‐きん【後金】
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こう‐きん【後金】
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旺文社世界史事典 三訂版
後金
こうきん
かつての満州の大国金の後継者であるという意味。1619年サルフの戦いで明を破り,都を遼陽,さらに瀋陽(現在の奉天)に遷した。1636年に太宗ホンタイジが清と改称。
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後金
ごきん
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