●御家人【ごけにん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
御家人
ごけにん
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ご‐けにん【御家人】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
とっさの日本語便利帳
御家人
出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
世界大百科事典 第2版
ごけにん【御家人】
[中世]
鎌倉時代,将軍直属の家臣。幕府の首長としての将軍と主従関係を結んだ武士身分の者をいう。平安時代,貴顕の家に隷属した従者を家人とよんだが,武門の棟梁である源氏や平家の従者についてもその称呼が用いられ,時に敬称として御の字が付された。鎌倉幕府成立後,将軍の家人も敬称として鎌倉殿の御家人,関東御家人などとよばれ,後には身分の称呼として固定化した。1180年(治承4)源頼朝の挙兵の際,いちはやく味方に馳せ参じたのは縁戚の北条氏一族のほか,伊豆・相模等を中心とした源氏譜代の家人である武士たちであった。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
御家人
ごけにん
(1)鎌倉時代に将軍(鎌倉殿)と主従関係を結んだ武士。平安時代には貴族の従者を家人とよび、源氏や平氏などの武家の棟梁(とうりょう)に臣従する武士も家人とよんだが、鎌倉幕府のもとでは将軍の家人にはとくに敬称をつけて、鎌倉殿御家人、関東御家人などと称した。幕府の統率下にない武士が「非御家人」とよばれたように、御家人の称はしだいに特定の武士をさす身分呼称として固定化した。鎌倉幕府の訴訟手続を解説した『沙汰未練書(さたみれんしょ)』には、「御家人とは、往昔以来、開発領主として、武家御下文(おんくだしぶみ)を賜る人の事なり」と定義され、御家人になるためには開発私領(本領)を有する武士が名簿(みょうぶ)を捧(ささ)げて将軍の見参に入り、将軍から本領安堵(あんど)の下文を受ける手続を必要とした。ただし、西国の御家人は一般に将軍との主従関係が緩やかで、守護が交名(きょうみょう)を注進するだけで御家人となったものも多かった。このため、東国の御家人は、本領安堵あるいは新恩によって、荘園(しょうえん)・公領の地頭職(じとうしき)に補任(ぶにん)されたが、西国の御家人で地頭になった例はきわめて少ない。御家人は、将軍から与えられた所領安堵・所職補任に対して、戦時に際しての出陣、平時の大番役(おおばんやく)・鎌倉番役などの軍役、あるいは関東御公事(みくうじ)などの御家人役を負担する義務を負った。このように将軍と御家人は御恩と奉公の関係を通じて双務契約的な主従関係を形成し、御家人制は鎌倉幕府の軍事的な基盤となった。御家人を中央で統轄したのは侍所(さむらいどころ)で、承久(じょうきゅう)の乱(1221)以降は六波羅探題(ろくはらたんだい)が西国の御家人を管掌し、蒙古(もうこ)襲来以後は鎮西(ちんぜい)探題が九州の御家人を管掌したが、普通は守護を介して国ごとに御家人の統率が行われた。鎌倉幕府は一貫して御家人を保護する政策をとったが、鎌倉時代後期になると、御家人の階層分解が進んで経済的に困窮する御家人がみられ、また庶子の台頭による惣領(そうりょう)と庶子の対立などにより、御家人制はしだいに弛緩(しかん)した。さらに蒙古襲来後の恩賞の不足と異国警固番役などの負担の増大、あるいは北条氏の被官(ひかん)(御内人(みうちびと))と一般の御家人との対立によって、御家人制の根幹が揺らぎ、幕府が滅亡する原因ともなった。なお、室町時代にも御家人の称は武家の家柄を示すものとして存続したが、室町幕府の主要な権力基盤とはならず、その実質は失われた。
(2)江戸幕府の直臣(じきしん)団のうち下級のものをさす呼称。知行(ちぎょう)高1万石以下の直臣団は、御目見(おめみえ)以上を旗本(はたもと)、それ以下を御家人と称した。御家人には、直臣になった時期の違いによって譜代(ふだい)と二半場(にはんば)と一代抱(いちだいかかえ)という区別もあった。御家人の禄高(ろくだか)の最高は260石で、最低は4両一人扶持(ぶち)であった。江戸時代後期になると、富裕な町人が、困窮した御家人の養子となって家督を継いで幕臣となる御家人株の売買もしばしばみられた。
[小山靖憲]
『安田元久著『鎌倉御家人』(教育社歴史新書)』▽『大饗亮著『封建的主従制成立史研究』(1967・風間書房)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ご‐けにん【御家人】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
御家人
ごけにん
②江戸時代,将軍直属の下級家臣
御家人以外の武士を非御家人という。御家人は所領安堵・新恩地給与などの御恩をうけ,それに対し奉公として戦時には出陣,平時には京都大番役・篝屋 (かがりや) 番役などの軍役や関東御公事などの経済的負担の義務を負った。鎌倉中期以降,御家人制度の崩壊に伴い,幕府権力は動揺した。
御目見 (おめみえ) 以下,すなわち将軍に謁見できない武士をさした。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「御家人」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●御家人の関連情報