●御用部屋【ごようべや】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
御用部屋
ごようべや
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ごようべや【御用部屋】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
御用部屋
ごようべや
一般には江戸幕府の大老、老中、若年寄ら閣老の殿中における詰所(執務室)をいう。部屋は2局に分かれ、上之間(かみのま)には老中、下之間には若年寄が詰め、大老は上之間の入側上座に一画し、そこで執務した。5代将軍徳川綱吉(つなよし)の初政まで、閣老の詰所は奉行所(ぶぎょうしょ)と称し、奥の将軍の居室である御座之間の近室に置かれていた。しかるに、1684年(貞享1)奉行所の傍らで大老堀田正俊(まさとし)が若年寄稲葉正休(まさやす)に殺害されたのを契機にし、将軍の身に危険が及ぶのを恐れて、将軍側近の奉行所は廃止され、閣老の執務室は御座之間からはほど遠い膳立(ぜんだて)之間に移されて、そこを御用部屋と称するようになった。この結果、隔離された閣老と将軍との間には、政務の取次役として側用人(そばようにん)や側衆らが介在するようになり、いわゆる側近政治を生み出すことになった。ちなみに、御用部屋に出入りを許されたのは、閣老の秘書官たる性格をもつ奥右筆(おくゆうひつ)のみに限られ、諸役人の入室はいっさい禁止された。また諸藩のなかには、家老らの詰所を御用部屋とよぶところもあった。
[北原章男]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ごよう‐べや【御用部屋】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
御用部屋
ごようべや
初めは将軍の居室に近いところにあったが,1684年大老堀田正俊の刺殺事件からのち,将軍の居室から遠くに離され,将軍近侍の側用人が勢力をふるう原因となった。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ごよう‐べや【御用部屋】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「御用部屋」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●御用部屋の関連情報