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徳川宗春【とくがわ むねはる】

美術人名辞典

徳川宗春
江戸中期の尾張名古屋藩主。初名は通春、幼名は万五郎・求馬。は同三代藩主綱誠。享保15年兄継友の急死により尾張家を相続。参議を経て権中納言に至る。将軍徳川吉宗と対立し退隠させられた。著書に『温知政要』がある。明和元年(1764)歿、69才。贈従二位権大納言。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

とくがわ‐むねはる〔トクがは‐〕【徳川宗春】
[1696~1764]尾張藩第7代藩主。商業を重視し放任政策をとったため、8代将軍吉宗享保の改革と対立、幕府から隠居させられる。著書「温知政要」は絶版処分。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

徳川宗春 とくがわ-むねはる
1696-1764 江戸時代中期の大名。
元禄(げんろく)9年10月26日生まれ。徳川綱誠(つななり)の子。陸奥(むつ)梁川(やながわ)藩(福島県)藩主から,享保(きょうほう)15年尾張(おわり)名古屋藩主徳川家7代となる。商工業を発展させ,風俗の開放政策をとり,名古屋の町は活況を呈したが,享保の改革の倹約政策に反したため,元文4年隠居謹慎を命じられた。明和元年10月8日死去。69歳。初名は通春(みちはる)。著作に「温知政要」。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

とくがわむねはる【徳川宗春】
1696‐1764(元禄9‐明和1)
江戸中期の大名。第3代尾張藩主徳川綱誠(つななり)の子。幼名は万五郎,求馬,のち通春と名のる。1729年(享保14)奥州梁川3万石を拝領,翌年6代尾張藩主継友の死去にともない,兄継友の養子として第7代藩主となる。31年に8代将軍徳川吉宗の(いみな)の1字をもらい宗春と改名,32年権中納言に任じられる。39年(元文4)にいたり幕府から隠退,蟄居(ちつきよ)を命じられたが,その理由を《徳川実紀》は,〈身の行ひただしからず〉〈かつ国の政ととのはず〉〈かくては国務に任じがた〉いと,あたかも宗春の個人的な資質に問題があるかのように記している。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

367日誕生日大事典

徳川宗春 (とくがわむねはる)
生年月日:1696年10月26日
江戸時代中期の大名
1764年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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