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徳川家達【とくがわ いえさと】

美術人名辞典

徳川家達
政治家・公爵徳川(田安)慶頼の三男。幼名は亀之助、号は静岳。慶喜隠退に伴い徳川宗家を継ぐ。版籍奉還により静岡藩知事・貴族院議長・ワシントン軍縮会議全権委員・日赤社長をはじめ各種団体の名誉職に推される。昭和15年(1940)歿、77才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

とくがわ‐いえさと〔トクがはいへさと〕【徳川家達】
[1863~1940]政治家田安慶頼の三男。幼名、亀之助。明治元年(1868)徳川宗家を相続。同23年、貴族院議員となり、以後、貴族院議長・日本赤十字社社長などを歴任ワシントン軍縮会議全権委員も務めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

徳川家達 とくがわ-いえさと
1863-1940 明治-昭和時代前期の華族,政治家。
文久3年7月11日生まれ。田安慶頼(よしより)の3男。元治(げんじ)2年三卿(さんきょう)の田安家の7代となる。慶応4年徳川慶喜(よしのぶ)の跡をついで徳川宗家16代となり,駿河(するが)(静岡県)府中藩主。70万石。明治17年公爵。23年貴族院議員となり,36年から30年間にわたり貴族院議長。大正10年ワシントン会議全権委員。日本赤十字社社長,日米協会会長などを歴任。昭和15年6月5日死去。78歳。幼名は亀之助。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

とくがわいえさと【徳川家達】
1863‐1940(文久3‐昭和15)
徳川家第16代当主,政治家。田安慶頼の三男。明治維新後,徳川宗家を相続,1869年(明治2)版籍奉還により静岡藩知事となる。廃藩置県後,77年イギリスに留学,82年帰国し,84年公爵となる。90年議会開設とともに貴族院議員となり,1903年から33年まで議長を務める。その間,14年山本権兵衛内閣辞職の際,組閣の内命があったが固辞。日本赤十字社社長,済生会会長など数多くの名誉職に就き,ワシントン会議にも全権委員の一人として列席した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

とくがわいえさと【徳川家達】
1863~1940 政治家。田安慶頼の三男。幼名亀之助。明治維新後、徳川宗家一六代を継ぐ。1890年(明治23)以後貴族院議員、同議長を歴任。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

徳川家達
とくがわいえさと
[生]文久3(1863).7.11. 江戸
[没]1940.6.5. 東京
徳川将軍家の 16代当主,静岡藩主,政治家。田安慶頼の三男。母は高木氏。幼名は亀之助。 15代将軍徳川慶喜が明治1 (1868) 年隠退謹慎したのち,田安家から入って徳川宗家を相続。世間では,「十六代様」と呼ばれた。静岡の駿河府中城主として 70万石を領し,明治2 (1869) 年の版籍奉還後,静岡藩知事。 1877年から 1882年までイギリスに留学。 1890年貴族院開設に伴い公爵議員となり,1903年から 1933年まで貴族院議長。その間,1921年 12月ワシントン会議の全権委員。日本赤十字社社長,恩賜財団済生会会長,華族会館館長などを務め内外に活躍した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

徳川家達
とくがわいえさと
(1863―1940)
旧徳川将軍家第16代当主、政治家。初め亀之助(かめのすけ)と称す。田安(たやす)家(徳川慶頼(よしより))の三男として生まれ、1865年(慶応1)家を継いだ。1868年(慶応4)前将軍慶喜(よしのぶ)が死一等を免ぜられたのち、新政府から徳川宗家(そうけ)の相続を命ぜられ、家達と改名、5月に駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河(愛知県)70万石に転じ、翌年、版籍奉還により静岡藩知事となった。1877年(明治10)から1882年までイギリス留学、1884年公爵となり、1890年貴族院議員、1903年(明治36)同議長につき以後30年間同職にあった。その間、1914年(大正3)には、組閣の内命があったが辞退した。日本赤十字社社長、済生会会長などの名誉職に任じ、ワシントン軍縮会議の全権委員も務めた。[井上勝生]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

とくがわ‐いえさと【徳川家達】
政治家。公爵。田安慶頼の三男。幼名亀之助。田安家より徳川家にはいり、明治元年(一八六八)徳川慶喜のあと宗家を継いで、家達と改名。駿河・遠江・三河の三か国を領し、翌年の版籍奉還で静岡藩知事。のち、貴族院議長、日本赤十字社社長などを歴任。ワシントン会議全権委員をつとめた。文久三~昭和一五年(一八六三‐一九四〇

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

徳川家達
とくがわいえさと
1863〜1940
明治〜昭和前期の政治家
田安慶頼 (よしより) の3男。1868年,15代将軍慶喜 (よしのぶ) の隠退謹慎のあと田安家から入って徳川宗家を相続。静岡藩知事を経て,'90年貴族院議員となり,1903〜33年同院議長をつとめる。その間ワシントン会議全権委員,日本赤十字社社長などを歴任した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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