●応永の乱【おうえいのらん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
応永の乱
おうえいのらん
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デジタル大辞泉
おうえい‐の‐らん【応永の乱】
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世界大百科事典 第2版
おうえいのらん【応永の乱】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
応永の乱
おうえいのらん
1399年(応永6)有力守護大内義弘(おおうちよしひろ)が室町幕府に対して起こした反乱。義弘は九州鎮圧や明徳(めいとく)の乱(1391)の平定および南北朝合体の斡旋(あっせん)などの功によって、父弘世(ひろよ)時代の周防(すおう)、長門(ながと)に加え、石見(いわみ)、豊前(ぶぜん)、和泉(いずみ)、紀伊(きい)の守護となり、さらに対朝鮮貿易により富強を誇っていた。一方、南朝合体に成功した将軍足利義満(あしかがよしみつ)は幕府権力の安定・絶対化を図るため、有力守護への抑圧と服従を強要しようとし、その機会をねらっていた。このような義満にとって、義弘による対朝鮮貿易の独占的傾向と、幕府の九州統一と密接する対明(みん)貿易への強い干渉は、先に解任した九州探題今川了俊(りょうしゅん)を想起させ、義弘討伐を決意させるに至った。1396年の渋川満頼(みつより)の九州探題就任以降、九州では動乱が生じており、義満は、義弘が九州へ赴いたのを好機として挑発を開始した。これに対し義弘は、当時義満と対立していた鎌倉公方(くぼう)足利満兼(みつかね)と結び対抗、99年10月、領国和泉の堺(さかい)(大阪府堺市)に上陸し、義満の政治を批判、満兼の御教書(みぎょうしょ)を奉じ討伐の意志を明らかにした。義満は11月の初めに数万の大軍を発向(はっこう)させたため、義弘は堺に多くの井楼(せいろう)や櫓(やぐら)を設け籠城(ろうじょう)。同月29日両軍は戦闘に及んだが勝敗は決しなかった。これと前後して満兼は諸国に反幕府の挙兵を呼びかけ、自ら上洛(じょうらく)を意図したが果たせなかった。一方、堺では12月21日に幕府軍の総攻撃により義弘は戦死し、弟の弘茂(ひろもち)は降服した。この結果、翌1400年3月には東国、鎌倉も鎮静に帰し、義満は乱後の処置として、大内氏より和泉、石見、紀伊、豊前を没収し、弘茂に周防、長門を安堵(あんど)した。しかし、義弘に後事を任されていた別弟の盛見(もりはる)は、弘茂の入国を拒否し、01年には弘茂を敗死させるなどその勢力を圧したため、幕府は盛見と和し、周防、長門の守護に任じた。こうして義満の大内氏勢力削減は達成され、この後、室町幕府の全盛期を創出するに至った。しかし、応永の乱の事後処理に幕府が不十分な措置をとらざるをえなかったことは、最終的に幕府による守護大名の統制に大きな影響を及ぼすことになった。
[久保田昌希]
『佐藤進一著『南北朝の動乱』(『日本の歴史 9』1965・中央公論社)』▽『松岡久人著『大内義弘』(1966・人物往来社)』
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精選版 日本国語大辞典
おうえい【応永】 の 乱(らん)
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旺文社日本史事典 三訂版
応永の乱
おうえいのらん
義弘は周防 (すおう) ・長門 (ながと) など6国の守護を兼ね,朝鮮貿易で巨富を得,多くの戦功をたてて強盛を誇り,将軍足利義満と対抗した。1399年鎌倉公方足利満兼と呼応し,領国和泉の堺で挙兵,義満はみずから征討し,義弘は敗死した。明徳の乱('91)とともに,義満の守護大名抑圧策の一つで,これにより幕府の権力は確立した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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