●恋川春町【こいかわはるまち】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
恋川春町
こいかわはるまち
[没]寛政1(1789).7.7. 江戸
江戸時代中期の戯作者,狂歌作者。本名,倉橋格。通称,寿平。狂名,酒上不埒 (さけのうえのふらち) 。駿河小島藩用人。安永4 (1775) 年自作自画の『金々先生栄花夢』を出し,従来の青本と一線を画す成人向きの諧謔と風刺によって,黄表紙の祖となった。その後黄表紙を多数著わし,鋭い「うがち」をもって前期黄表紙界を友人の朋誠堂喜三二とともにリードした。一方,天明狂歌壇においても重きをなし,大屋裏住らの本町連に連なっている。寛政1 (89) 年,黄表紙『鸚鵡返文武二道 (おうむがえしぶんぶのふたみち) 』が寛政の改革を風刺したとして当局から糾弾され,同年死去。主家に累が及ぶのを恐れて自殺したとも考えられている。ほかに黄表紙『高慢斎行脚日記』 (76) ,『三升増鱗祖 (みますますうろこのはじめ) 』 (77) など。
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デジタル大辞泉
こいかわ‐はるまち〔こひかは‐〕【恋川春町】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
恋川春町 こいかわ-はるまち
延享元年生まれ。紀伊(きい)田辺藩(和歌山県)藩士桑島九蔵の子。駿河(するが)(静岡県)小島(おじま)藩士。鳥山石燕(せきえん)に浮世絵をまなぶ。安永4年自作自画の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」を刊行,黄表紙の祖とよばれる。酒上不埒(さけのうえの-ふらち)の名で狂歌もつくる。寛政の改革を風刺した「鸚鵡返(おうむがえし)文武二道」で弾圧され,寛政元年7月7日死去。46歳。自殺説もある。姓は倉橋。名は格。通称は寿平。
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恋川春町 こいしかわ-はるまち
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世界大百科事典 第2版
こいかわはるまち【恋川春町】
江戸後期の黄表紙作者,浮世絵師,狂歌師。本名は倉橋格,通称は寿平,別号は寿山人。狂歌名は酒上不埒(さけのうえのふらち)。駿河小島藩の江戸詰用人。江戸小石川春日町に住したので恋川春町と号した。画を鳥山石燕・勝川春章に学び自他の作の挿絵を描いた。1775年(安永4)《金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)》,翌年《高慢斎行脚日記》によって当世風俗をうがち,従来の草双紙の作風を一変せしめた。以後安永・天明にかけて活躍,20余部の作があり,89年の《鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)》は寛政改革を風刺して大当りをとったが,当局の忌諱(きい)に触れてまもなく没し,当時自殺説も流れた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
恋川春町
こいかわはるまち
(1744―1789)
江戸後期の戯作者(げさくしゃ)、浮世絵師。本名倉橋格、通称寿平。狂名を酒上不埒(さけのうえのふらち)、別に寿山人と号した。駿河(するが)小島(おじま)藩士で、江戸・小石川春日(かすが)町の藩邸に住み、留守居役、重役加判などの要職を歴任、そのかたわら浮世絵師を志して鳥山石燕(せきえん)に学び、勝川春章(かつかわしゅんしょう)に私淑した。1773年(安永2)洒落本(しゃれぼん)『当世風俗通』の挿絵(文も春町か)を描いて文壇に登場、1775年には洒落本を草双紙(くさぞうし)化した『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』を自画作で発表し、黄表紙の祖と目されるに至った。知的で軽妙洒脱な話の展開と写実的な挿絵で現実世界を戯画化し、当代第一級の作者として『無益委記(むだいき)』など約30編の黄表紙を残すほか、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)らの黄表紙に挿絵を描き、洒落本、狂歌などの作もある。1789年(寛政1)『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』で松平定信(さだのぶ)の改革政治を揶揄(やゆ)して、当局の召喚を受けたが応ぜず、ほどなく没した。この突然の死は、藩公へ迷惑の及ばぬようにとの配慮と、実直な能吏であった養父との折り合いの悪さに原因すると考えられ、自殺とみてよい。
[宇田敏彦]
『水野稔校注『日本古典文学大系59 黄表紙・洒落本集』(1958・岩波書店)』▽『浜田義一郎他校注・訳『日本古典文学全集46 黄表紙・川柳・狂歌』(1971・小学館)』▽『小池正胤・宇田敏彦他編『江戸の戯作絵本』1~3・続編1(社会思想社・現代教養文庫)』
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精選版 日本国語大辞典
こいかわ‐はるまち こひかは‥【恋川春町】
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旺文社日本史事典 三訂版
恋川春町
こいかわはるまち
江戸中期の黄表紙作者・狂歌師
駿河小島藩の留守居役として江戸に在住。居所である江戸の小石川春日町をもじって,恋川春町と名づけた。狂名酒上不埒 (さけのうえのふらち) 。『金々先生栄花夢』などにより黄表紙を流行させた。また浮世絵,草双紙の挿絵も書いた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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