●愚中周及【グチュウシュウキュウ】
デジタル大辞泉
ぐちゅう‐しゅうきゅう〔‐シウキフ〕【愚中周及】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
愚中周及 ぐちゅう-しゅうきゅう
元亨(げんこう)3年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)の人。夢窓疎石(そせき)に師事。暦応(りゃくおう)4=興国2年元(げん)(中国)にわたり,即休契了の法をつぐ。帰国後臨済宗(りんざいしゅう)愚中派をおこし,丹波天寧寺(京都府)の住持となる。安芸(あき)(広島県)に仏通寺をひらいた。応永16年8月25日死去。87歳。諡号(しごう)は仏徳大通禅師。著作に「稟明(りんみょう)抄」。
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世界大百科事典 第2版
ぐちゅうしゅうきゅう【愚中周及】
1323‐1409(元亨3‐応永16)
室町中期の五山禅僧。字は愚中,諱(いみな)は周及。美濃の人。13歳で夢窓疎石の門に投じ,のち春屋妙葩(しゆんおくみようは)に参じた。1340年(興国1∥暦応3)入明し,月江正印,即休契了等に参学,即休の法を継いだ。51年(正平6∥観応2)帰国し,65年(正平20∥貞治4)丹後天寧寺に住したが,95年(応永2)8月,安芸の仏通寺の開山となった。1407年,将軍足利義持に招かれて上京,禅要を説いた。1409年8月25日没。
室町中期の五山禅僧。字は愚中,諱(いみな)は周及。美濃の人。13歳で夢窓疎石の門に投じ,のち春屋妙葩(しゆんおくみようは)に参じた。1340年(興国1∥暦応3)入明し,月江正印,即休契了等に参学,即休の法を継いだ。51年(正平6∥観応2)帰国し,65年(正平20∥貞治4)丹後天寧寺に住したが,95年(応永2)8月,安芸の仏通寺の開山となった。1407年,将軍足利義持に招かれて上京,禅要を説いた。1409年8月25日没。
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