●憲政党【けんせいとう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
憲政党
けんせいとう
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デジタル大辞泉
けんせい‐とう〔‐タウ〕【憲政党】
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世界大百科事典 第2版
けんせいとう【憲政党】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
憲政党
けんせいとう
明治時代後期の政党。
(1)1898年(明治31)自由党と進歩党が、第三次伊藤博文(ひろぶみ)内閣の第12議会に提出した地租増徴法案に反対して提携を強め、衆議院解散後の6月22日合同して結成した政党。新政党の事実上の指導者大隈重信(おおくましげのぶ)、板垣退助(たいすけ)を中心に組織したいわゆる隈板(わいはん)内閣(第一次大隈内閣)の与党となり、8月の総選挙で260議席の絶対過半数を獲得した。しかし党内の就官要求は抑えがたく、尾崎行雄(ゆきお)文相の共和演説事件を機に官僚勢力からの攻撃も強まり、尾崎辞任後はその後任をめぐって旧自由・進歩両派の対立が激化し、10月に分裂して、29日旧自由派は新たに憲政党を、11月3日旧進歩派は憲政本党を結成した。
(2)1898年(明治31)10月29日、旧自由派を中心に結成された政党。12月には第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣と提携し、第13議会に提出された地租増徴案に賛成した。議会後、政府が文官任用令を改正して政党員の就官を制限したため党内は動揺したが、同年の府県会議員選挙で与党の条件を利用して党勢を大幅に拡張した。この間、憲政党の分裂から山県内閣との提携関係を維持する過程での、党内におけるリーダーシップは星亨(とおる)の手腕に依拠するところが大きかった。1900年(明治33)5月、山県首相との党員入閣交渉に失敗すると、急速に伊藤博文の新政党結成の動きに接近し、9月13日解党して立憲政友会の創立に参加した。
[宇野俊一]
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精選版 日本国語大辞典
けんせい‐とう ‥タウ【憲政党】
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旺文社日本史事典 三訂版
憲政党
けんせいとう
第3次伊藤博文内閣が第12議会に地租増徴案を提出すると,野党はこれを解散に追い込み,ついで自由・進歩両党は合同して憲政党を結成した。伊藤内閣の倒壊後,大隈重信・板垣退助を中心とするいわゆる隈板 (わいはん) 内閣を組織したが,間もなく憲政党(旧自由党系)と憲政本党(旧進歩党系)に分裂,前者は1900年に解党し立憲政友会に合流した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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