●戒壇【かいだん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
戒壇
かいだん
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デジタル大辞泉
かい‐だん【戒壇】
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世界大百科事典 第2版
かいだん【戒壇】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
戒壇
かいだん
仏教で戒を授ける儀式の場所。戒場ともいう。授戒の場所であるが、戒壇と訳されたために、中国や日本では1段ないし3段の壇を築くようになった。広さに決まりはないが、3~5メートル四方ぐらいで、高さは1段で約70センチメートル、3段で約2.5メートル。中国では、セイロン僧求那跋摩(ぐなばつま)により431年ごろ南林寺に初めて戒壇がつくられ、のち各地に広まった。6世紀には梁(りょう)の武帝が宮中に戒壇を築き、自ら受戒して以来、この風習ができた。日本では、鑑真(がんじん)が唐から来日し、754年(天平勝宝6)東大寺の大仏殿の前に壇を築いたのが最初で、聖武(しょうむ)天皇(上皇)はじめ400余人が鑑真から菩薩(ぼさつ)戒を受けた。
僧になるには、この壇上で10人の僧の行う儀式により具足戒を受けるが、これは禁欲その他の僧の戒律(二百五十戒)を守ることを誓う儀式である。菩薩戒は菩薩道の修行をしようと誓う儀式であり、『梵網(ぼんもう)経』に説く「十重・四十八軽戒」を受ける。これは俗人も僧もともに受けることができる。
のち大仏殿前の壇は西に移され、3段の戒壇をつくり、そこに戒壇院が建てられた。そして僧となるには、かならず戒壇で受戒しなければならないとする規則ができ、遠方の人のために、下野(しもつけ)国(栃木県)の薬師寺と筑紫(つくし)国(福岡県)の観世音寺(かんぜおんじ)にそれぞれ1段の戒壇がつくられた。これを天下の三戒壇という。のち最澄(さいちょう)は比叡山(ひえいざん)に大乗の修行を誓う大乗戒のための戒壇をつくろうとして、勅許を得ようとしたが、その生前には許されず、死後の822年(弘仁13)に許された。これが比叡山の大乗戒壇であり、梵網戒を授ける。
[平川 彰]
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精選版 日本国語大辞典
かい‐だん【戒壇】


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旺文社日本史事典 三訂版
戒壇
かいだん
754年に鑑真 (がんじん) が東大寺大仏殿前に戒壇をつくり,761年に下野 (しもつけ) 薬師寺・筑紫観世音寺にもつくられた。これらを「天下の三戒壇」といい,正式の僧侶になるには,このいずれかで受戒しなければならなかった。平安時代に入ると,これらの小乗戒壇とは別に,最澄が比叡山に大乗戒壇の創設を求め,死後勅許された。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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