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戦後補償【せんごほしょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

戦後補償
せんごほしょう
第2次世界大戦の被害者,特に日本の行為によって被害を受けたアジアの諸国民や連合国捕虜に対する補償。これは法的な概念ではないが,国家間の賠償と区別して被害者個人に対する各種補償を総称する用語として使われる。サンフランシスコ講和条約 (1951) により日本の戦後処理が行なわれた際,被害者個人について考慮されなかったため,その補償が問題になっている。具体的には旧日本軍の軍人・軍属であった朝鮮半島・台湾出身者,朝鮮半島および中国大陸からの移入労務者,日本軍の占領地で労務者・兵補として動員された住民,中国大陸などで日本軍の行動の犠牲になった民間人,サハリンに取り残された韓国人,ホンコンにおける軍票発行で財産的損害を受けた人,戦時国際法に違反する不当な取り扱いを受けた連合国捕虜,従軍慰安婦などに対する補償である。また個人の請求権についても,日本政府は,サンフランシスコ講和条約や日韓請求権・経済協力協定 (1965) などの条約に放棄や最終解決が規定されているため法的には解決済みであるとの立場をとってきた。しかし 1990年韓国人女性に対する従軍慰安婦問題がもち上がり,他のアジア諸国にも飛び火,旧日本軍の関与も明らかにされた。これに対し政府は国家としての賠償についてはあくまで拒否し,代わりに任意団体「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し,「見舞金」などの名目で一時金を贈ることに決めた。しかし,これでは責任を曖昧にし,国家としての謝罪にならないとしてむしろ反発を招く結果となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵

戦後補償
第2次世界大戦中、日本軍が韓国を始めとするアジアの女性を強制的に慰安婦にしたという問題は、日韓の戦後補償の問題とも関連し、1992年夏に河野洋平官房長官が政府の関与を公式に認め、95年7月に村山富市内閣は女性のためのアジア平和国民基金を発足させ、韓国、台湾、フィリピンなどの元慰安婦に、政府ではなく民間基金で補償するとした。しかし韓国では不満が強く、償い金を受け取った元慰安婦は90人余と当初目標の3分の1以下で、償い金の支給は難航を極めた。2002年5月、同基金は償い金を渡す事業を終了。元慰安婦に医療・福祉を提供する事業は継続している。05年3月関係が悪化するなかで、韓国政府は日韓条約の範囲外の問題は、その被害者に対し日本政府が解決するよう求める政策を提示した。一方元従軍慰安婦などの韓国人女性10人が日本政府に公式謝罪と損害賠償を求めていた戦後補償裁判(関釜裁判)では、1998年4月の1審判決は元慰安婦3人に慰謝料30万円を認めたものの、2001年3月29日、広島高裁は同判決を取り消した。原告最高裁上告。太平洋戦争中の強制労働について、韓国の元女子勤労挺身隊員らが雇用企業の不二越に未払い賃金や損害賠償を求めていた訴訟(不二越訴訟)は、2000年7月、最高裁で、企業側の責任や謝罪は問わず「解決金」を支払うことで和解が成立した。雇用企業に対して賠償などを求めた訴訟で、最高裁での和解は初めて。戦時中に徴用され広島で被爆した韓国人(在外被爆者)が、日本滞在中は支給されていた被爆者援護法に基づく健康管理手当を、韓国に帰国したことで打ち切られたのは違法として、国などに処分取り消しを求めていた訴訟では、01年6月、大阪地裁は被爆者援護法を適用すべきとし、手当の支給を命じた。国は高裁に控訴。02年12月の控訴審でも原告が勝訴、政府は上告を断念した。なお戦時中、旧日本軍の軍人・軍属として死亡したり障害を負った在日外国人とその遺族に弔慰金などの一時金を支払う在日旧軍人・軍属給付金法は、00年6月に成立した。
(高橋進 東京大学大学院法学政治学研究科教授 / 2007年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

日本大百科全書(ニッポニカ)

戦後補償
せんごほしょう

戦争時に生じた被害に対して国際法上の賠償請求権とは別に補償を行うこと。日本の場合、第二次世界大戦時、アジア諸国への侵略に際して与えた各種の損害に対して、戦後、政府間の賠償問題は対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)や二国間条約で解決済みとしてきた。しかし、国交のない北朝鮮に対する補償のほか、従軍慰安婦や強制収用など、アジアや元連合国の戦争被害者個人に対する戦後補償問題は積み残されたままになっている。アメリカでは戦時中の日系人強制収容について謝罪・補償が行われたほか、ドイツでは国内外のナチス被害者に年金などの個人補償を行っている。

 北朝鮮に関しては、1990年(平成2)9月に金丸信(かねまるしん)、田辺(たなべ)誠を団長とする自由民主党・日本社会党両党の代表団が同国を訪問し、朝鮮労働党との間で日朝両国の早期国交樹立と政府間交渉の開始を内容とする共同声明に署名した。同声明のなかで、36年間の日本による植民地支配に加えて「戦後45年間に朝鮮人民が受けた損失」に対しても「十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである」ことが盛り込まれ、いわゆる「戦後補償」の実施を表明した。

 一方、1990年代に入って北朝鮮、韓国(大韓民国)、フィリピンなどの外国人戦争被害者が日本政府などを相手取り、謝罪・補償を求める訴訟を急増させてきた。しかし、裁判所は戦争犠牲者の救済は立法政策の問題として訴訟を退けてきた。また、従軍慰安婦に対する償い事業として「女性のためのアジア平和国民基金」(略称アジア女性基金)が設立されたものの民間基金によるもので、あくまでも政府は個人に対する戦後補償について国の法的責任を回避する姿勢を保持しているのが実状である。

[青木一能]

『戦後補償問題連絡委員会編『朝鮮植民地支配と戦後補償』(1992・岩波ブックレット)』『日本弁護士連合会編『日本の戦後補償』(1994・明石書店)』『内田雅敏著『「戦後補償」を考える』(講談社現代新書)』『松尾章一著『中国人戦争被害者と戦後補償』(1998・岩波ブックレット)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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