●拓跋珪【たくばつけい】
世界大百科事典 第2版
たくばつけい【拓跋珪 Tuò bá Guī】
中国,北魏の初代皇帝,太祖道武帝。在位398‐409年。祖父拓跋什翼犍の死を契機に拓跋部は危機に襲われたが,拓跋珪は母方の賀蘭部の後見によって国家の再建をはかり,386年(登国1)代王を称した。以後約10年間長城地帯の制覇につとめたのち,南進して後燕を攻撃,397年(皇始2),その首都中山を攻略した。翌年平城で帝位につき,国号を魏と改めた。山西,河北を手中に収めた北魏は,こうして中原王朝としての第一歩をふみ出した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
拓跋珪
たくばつけい
(371―409)
中国、北魏(ほくぎ)初代の皇帝(在位386~409)。諡号(しごう)は道武帝。廟号(びょうごう)は太祖。前秦(ぜんしん)に滅ぼされた代王拓跋什翼犍(じゅうよくけん)の孫。淝水(ひすい)の敗戦で前秦が瓦解(がかい)すると、386年代王の位につき、ついで国号を魏と改め盛楽(内モンゴル自治区)に都を置いた。後燕(こうえん)を破って中原(ちゅうげん)に進出すると、398年帝位に登り平城(大同)に遷都した。帝は後燕(こうえん)系を主とする漢人官僚を用いて、官制、儀礼、律令(りつりょう)などの諸制度を定め、大規模な徙民(しみん)(住民を他郷に移す)を行って北魏の基礎を固めた。部族解散を断行して軍事力の根幹たる北方遊牧民を部族長の統率下から離して帝権に直結したことは、他の五胡(ごこ)諸国と異なる点として注目される。晩年には功臣を多く誅殺(ちゅうさつ)するなど独裁化し、子の清河王紹に殺された。
[窪添慶文]
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たくばつ‐けい【拓跋珪】
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たくばつ‐けい【拓跋珪】
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拓跋珪
たくばつけい
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