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拷問【ごうもん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

拷問
ごうもん
torture
被疑者または被告人に対し,犯罪事実自白を強要するために肉体的苦痛を加えることをいう。問は著しい人権侵害になりうるため,憲法では公務員による拷問を禁じており (36条) ,いわゆる公共福祉を理由としても許されない。この禁止をさらに担保するため,憲法は拷問による自白の証拠能力を否定し (38条2項) ,刑法は公務員による拷問が犯罪を構成するとしている (195,196条) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ごう‐もん〔ガウ‐〕【拷問】
[名](スル)さまざまな肉体的苦痛を与え、自白を強制すること。現行憲法では禁止されている。「拷問にかける」「拷問して白状させる」

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ごうもん【拷問】
相手の肉体,あるいは精神に受容可能な範囲をこえる暴力,強制力を行使することにより,相手を屈服させ,その意志に反する行為を導き出すこと。したがって相手の肉体を拘束し,身心の自由を奪ったうえで相手を特定の行動に誘いこむために,暴力を系統的に行使することとなる。このような手段は古来,多くの権力や,非権力的主体によって行われてきた。現代民主主義国家においては統治手段としてのテロルの行使は禁じられており,日本国憲法も公務員による拷問を禁じ,またその結果得られた自白には証拠能力がないと定めている。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

拷問
ごうもん

自白を得るために被告人・被疑者に対して肉体的苦痛を与えること。糾問主義手続では、自白は「証拠の女王」とされ、自白を強要するためにさまざまな拷問が用いられた。日本でも、江戸時代には拷問(牢問(ろうもん))が認められ、明治初期に及んだが1879年(明治12)にまったく廃止された。しかしその後も、自白は実際上有力な証拠と考えられ、被告人や被疑者に対する拷問は少なくなかった。日本国憲法においては、公務員による拷問を禁じ(36条)、その保障規定として黙秘権、拷問や脅迫による自白の証拠能力の否定(38条)を明文化し、さらに刑事訴訟法で、任意性に疑いある自白はこれを証拠とすることができない(319条)と規定している。

[石井良助]

沿革

中国では古来、原則として罪人はその自白をまって処罰すべきものとされたから、自白を強要するために、拷問が認められていた。その制度のよく整い、かつ日本律令(りつりょう)の母法となった唐の律令(りつれい)では、拷問のことを拷訊(ごうじん)または拷掠(ごうりゃく)といい、犯罪の疑いがあるのに自白しない場合、および囚人の自白によらなければ犯罪事実を明らかにできない場合にだけ、拷問を許している。拷問の方法は杖(つえ)で打つことであるが、その回数は前後を通じて三度を超えることをえず、杖数(じょうすう)は前後を通じて200を超えることをえないなどの制限があり、もし官司が拷問によって不法に囚人を死に至らしめた場合は徒(ず)2年の刑に処せられたが、唐律令を継受した日本律令にも同様の規定があった。中国では唐以後歴代、拷問の制を認めている。

 日本律令では拷訊に用いる訊杖(じんじょう)は、長さ3尺5寸、元が直径4分、先が直径3分で、臀(しり)と背とを半分ずつ打つ定めであった。拷問は中世でも行われ、鎌倉幕府法でもこれを認めている。中世から戦国時代にかけて、火責め、水責め、木馬責めなどの拷問が行われたとの記録があるが、これらの記録のなかには、信憑(しんぴょう)性が問題になるものが少なくない。拷問に関する制度が整ったのは、江戸時代、ことに1742年(寛保2)公事方御定書(くじかたおさだめがき)の制定以後である。もっとも、江戸幕府法上拷問とよばれたのは釣責(つるしぜ)めであるが、当時牢問(ろうもん)(ろうどい、とも)とよばれたものも実質的には拷問であった。牢問は牢屋敷内の穿鑿(せんさく)所で痛めつけることであって、具体的には笞(むち)打ち、石抱(いしだ)き、海老(えび)責めの三つを牢問という。笞打ちは、囚人を後ろ手に縛って肩を打つのである。石抱きは、笞打ちで白状しないときに、後ろ手に縛ったまま、正座をさせ、裸の膝に石(縦3尺、横1尺、厚さ3寸)をのせることで、その数は2~3枚から、だんだん増やして、7~8枚から10枚になったこともある。笞打ちまたは石抱きを繰り返しても白状しない者には、海老責めを行う。海老責めは、あぐらをかかせ、縄で首と両足首を締め寄せて、身体を海老のように曲げるのである。笞打ちや石抱きはしばしば行われたが、海老責めはめったに行われなかった。牢問をしても白状しないときに、拷問(釣責め)を行う。釣責めは、両手を後ろ手に縛って、身体を宙に(足下が地上から3寸ぐらい)つり上げることで、牢屋敷内の拷問蔵で行われた。拷問は当時、容易ならざることとされ、その行われるのは、殺人、火付け、盗賊、関所破り、謀書謀判および詮議(せんぎ)中で罪が決しないが、他罪が発覚して、その罪状が分明であって、その罪だけで死刑が行われるべきものに限り、かつ悪事をした証拠が確かなのに、本人が白状しないことを要した。実際には、拷問(釣責め)はあまり行われていない。それは、拷問しなければ白状させられないのは、吟味役人が無能であることを示すものであるし、また拷問をしても白状しないときは、幕府の威光にかかわるとされたからであると考えられる。

 明治時代になってからも、1870年(明治3)制定の新律綱領は訊杖による拷問を定め、73年制定の断獄則例は拷問具として算板(そろばん)を追加した。翌年制定の改定律例は「凡(およ)ソ罪ヲ断ズルハ口供結案ニ依(よ)ル」と定めた。当時、拷問制度に対する反対論が強く、政府は76年に、前記の改定律例の規定を「凡ソ罪ヲ断ズルハ証ニ依ル」と改めた。しかし、拷問そのものを禁止しなかったので、拷問は依然そのあとを絶たなかったが、79年に拷問に関する規定はすべて削除され、制度上、拷問は消滅した。

[石井良助]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ごう‐もん ガウ‥【拷問】
〘名〙
① 肉体的苦痛を加えて、罪状などを白状させること。奈良時代の律では、「拷掠(ごうりょう)」「拷訊(ごうじん)」といったが、平安時代になってからこの語が用いられるようになった。鎌倉時代以後の武家社会では広く行なわれ、水問、水責、木馬(もくば)、綱責、割木責、鉄炮挟など、種々の苛酷な方法が案出された。明治一一年(一八七八)廃止。日本国憲法三六条では、公務員による拷問を絶対禁止としている。
※中右記‐康和四年(1102)八月一九日「或権禰宜清高信置解職被拷問」
※曾我物語(南北朝頃)二「いろいろのしょ人をあつめ、その中に、あやしきをめしとり、がうもんしければ、ことごとく白状す」 〔後漢書‐周伝〕
② 江戸幕府の法で、吊責(つるしぜめ)のこと。笞打、石抱、海老責を「牢問」と総称したのに対する語。牢問はいつでも行なうことができたが、拷問は、原則として人殺し、火付け、盗賊、関所破り、謀書謀判を犯し、確かな証拠があるのに白状しない場合、および審理中他の犯罪が発覚し、その罪が死罪に相当する場合以外には原則として行なうことができなかった。
※禁令考‐前集・第三・巻二三(江戸)「吟味方勤向之事〈略〉拷問は拷問蔵にて取計申候」
[補注](1)幕政の時代、②の吊責(つるしぜめ)の拷問はめったに行なわれなかったらしい。それは、拷問にまで及ぶことが吟味の役人の面目、また幕府の威光にかかわると考えられたものと思われる。
(2)拷問によっても自白が得られぬ場合は放免されるが、察度詰(さっとづめ)と称して、状況証拠によって有罪の判決を下したこともある。

出典:精選版 日本国語大辞典
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