●摂政【せっしょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
摂政
せっしょう
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デジタル大辞泉
せっ‐しょう〔‐シヤウ〕【摂政】
2 昔、天皇が幼少または女帝などのとき、代わって政治を行うこと。また、その職。元来皇族が任ぜられたが、平安前期、清和天皇幼少のために藤原良房が任ぜられて人臣の摂政が始まった。
3 天皇が未成年(満18歳未満)のとき、または精神・身体の重患や重大な事故によって国事行為をみずから行えないとき、天皇の名で国事行為を行う人。皇室典範により、一定の順序で成年の皇族が任ぜられる。
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とっさの日本語便利帳
摂政
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世界大百科事典 第2版
せっしょう【摂政】
【日本】
[古代~近世]
摂政はその出自より大別して,皇族摂政と人臣摂政に分けられる。《日本書紀》に仲哀天皇没後神功皇后が摂政になったとあるのを摂政の初例とするが,これは摂政というより称制というのにふさわしく,また伝説的要素も多く,信をおきがたい。古代における摂政の確実な例は,推古天皇の皇太子厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子),斉明天皇の皇太子中大兄皇子,天武天皇の皇太子草壁皇子の3例で,いずれも皇太子が天皇に代わって万機を摂行し,皇太子摂政ともいう。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
摂政
せっしょう
天皇にかわって大政を摂行する重職。摂籙(せつろく)、執柄(しっぺい)などともいう。記紀によれば、応神(おうじん)天皇のときの神功(じんぐう)皇后が初例といわれ、推古(すいこ)朝の聖徳太子をはじめ、古くは皇族がこれに任ぜられたが、866年(貞観8)清和(せいわ)天皇の外祖父太政大臣(だいじょうだいじん)藤原良房(よしふさ)が臣下として初めて摂政の詔(みことのり)を受け、さらに冷泉(れいぜい)天皇(在位967~969)のころから、天皇幼少の間は摂政を、成年後は関白を置くのが慣例となり、朝廷最高の地位として「一(いち)の人」ともよばれた。そして制度上は、関白が天皇の補佐としてなお臣下の地位にとどまったのに対し、摂政は天皇の代理者として、ほとんど天皇に等しいといわれ、詔書に画可(かくか)(本来は天皇が「可」の字を親署する)を加える権限などをもった。良房以降、摂政は藤原氏北家(ほっけ)に伝えられ、藤原氏長者(うじのちょうじゃ)を兼帯するのが例となり、さらに道長(みちなが)以後はその子孫に独占されて江戸時代末に及んだが、王政復古の発令に際して、関白とともに廃止された。
[橋本義彦]
憲法上の摂政
1889年(明治22)の旧憲法(大日本帝国憲法)上、天皇の名において大権(たいけん)を行使する者を摂政といい(17条)、旧皇室典範では、天皇が未成年(18歳未満)もしくは心身上の重患等の際、皇族会議および枢密顧問の議を経て原則として成年の皇族が任ぜられることになっていた(19条以下)。1921年(大正10)大正天皇の重患により、皇太子裕仁(ひろひと)親王(のちの昭和天皇)が摂政に就任したのはこの制度によるものである。
日本国憲法上は、「摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」(5条)にすぎない。現皇室典範によれば、摂政は、天皇が未成年(18歳未満)のとき、もしくは心身上の重患または重大な事故の存するとき皇室会議の議によって置かれ(16条)、その在任中訴追されない(21条)。成年に達した皇太子または皇太孫を第一位とする皇族の摂政就任順位が定められている(17条)。
[畑 安次]
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精選版 日本国語大辞典
しょう‐しょう セフシャウ【摂政】
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せっ‐しょう ‥シャウ【摂政】
(2)日本では、古くは仲哀天皇崩御後の神功皇后、推古天皇の時の厩戸皇子、斉明天皇の時の中大兄皇子、天武天皇の時の草壁皇子が知られるが、いずれも皇族であった。人臣の摂政は清和天皇の時に外祖父藤原良房が任じたのを最初とする。
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せっ‐せい【摂政】
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旺文社日本史事典 三訂版
摂政
せっしょう
本来天皇が幼少のときや女帝のときに皇族がその任についた。593年聖徳太子がなったのが最初。臣下では,858年清和天皇が幼少のため外祖父の藤原良房がその任についたのが最初である。10世紀後半から常置の官となり,藤原北家が独占して江戸末期に至った。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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