●摂津国【せっつのくに】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
摂津国
せっつのくに
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
藩名・旧国名がわかる事典
せっつのくに【摂津国】
出典:講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
せっつのくに【摂津国】
【古代】
畿内に属する上国(《延喜式》)。管轄下の郡として《延喜式》によると住吉,百済,東生(ひがしなり)(後に東成),西成,島上,島下,豊島(てしま),川辺,武庫(むこ),兎原(うはら),八部(やたべ),有馬,能勢の13郡を数え,このうち能勢郡は713年(和銅6)に川辺郡から分立した郡である。また八部郡は8世紀には雄伴(おとも)郡の名で呼ばれていた。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
摂津国
せっつのくに
大阪府北西部と兵庫県南東部の旧国名。五畿内(きない)の一つ。東は山城(やましろ)国と河内(かわち)国、西は播磨(はりま)国、北は丹波(たんば)国に接し、南は和泉(いずみ)国に接するほか大阪湾に臨む。古くは河内国に含まれ、難波津(なにわのつ)、武庫泊(むこのとまり)などの港津(こうしん)に恵まれて津国(つのくに)ともよばれた。仁徳(にんとく)朝に難波高津宮(たかつのみや)、645年(大化1)に難波長柄豊碕宮(ながらとよさきのみや)、744年(天平16)に難波宮が造営され、三たび帝都の所在地となる。この間、国郡里制の整備とともに摂津職(しき)が置かれた。677年(天武天皇6)丹比公麻呂(たじひのきみまろ)が摂津職大夫(かみ)となったのが初見。793年(延暦12)難波宮の廃止とともに摂津職も廃止されて、正式に摂津国となる。国府所在地は不明な点が多いが、のち現在の大阪市天満(てんま)橋付近に移されたらしい。国分寺も明確でなく、天王寺区国分町の国分寺、東淀川(よどがわ)区柴島(くにじま)2丁目の法華寺、あるいは北区国分寺2丁目の国分寺を国分寺、国分尼寺の後身と伝える。『延喜式(えんぎしき)』には住吉(すみよし)、百済(くだら)、東生(ひんかしなり)(のち東成(ひがしなり))、西成(にしなり)、島上(しまのかみ)、島下(しまのしも)、豊島(としま)、能勢(のせ)、河辺(かわのへ)、有馬(ありま)、武庫、菟原(うはら)、八部(やたべ)の13郡がみえるが、百済郡は平安末期に実態を失って、住吉、東成両郡に併合されたと考えられる。平安時代には荘園(しょうえん)が乱立したが、前摂津国司源満仲(みつなか)は、在任中に豊島(てしま)郡多田(ただ)荘に本拠を構え、武士団を結成して清和(せいわ)源氏の勢力伸張の転機をつくり、平氏の全盛時には平清盛(きよもり)が大輪田(おおわだ)泊(神戸港)の経営に努め、武庫郡福原(神戸市兵庫区)に離宮を造営した。
鎌倉幕府成立後は地頭(じとう)の荘園侵犯が著しく、後鳥羽上皇寵愛(ごとばちょうあい)の白拍子(しらびょうし)亀菊の所領、長江(ながえ)・椋橋(くらはし)両荘を押領(おうりょう)した地頭の罷免問題から、上皇と幕府が対立して承久(じょうきゅう)の乱が起こったという。やがて幕府の統制が乱れると悪党が国内に横行、1315年(正和4)には兵庫関に乱入して守護使と一戦を交えている。南北朝時代には京都を制する軍事上の要地として争奪の的となり、豊島(てしま)河原、湊川(みなとがわ)、阿倍野(あべの)などで合戦が繰り返され、ついで室町時代には両細川(ほそかわ)の内乱に本願寺が介入して、戦国の様相を呈した。本願寺は1532年(天文1)大坂石山に寺基を移して寺内(じない)町を形成、防備を固めて石山本願寺城とよばれたが、織田信長との石山合戦で敗れた。信長没後大坂を手中にした豊臣(とよとみ)秀吉は、石山本願寺寺内町の跡地を広げて大坂城を築き城下町を建設。豊臣氏滅亡ののち、江戸幕府は大坂を直轄地とし、摂津国内に麻田、高槻(たかつき)、尼崎(あまがさき)、三田(さんだ)の四小藩を置いたほか、多くの大名・旗本に分封し、宮家、堂上(とうしょう)家、社寺などの所領と複雑な入組支配をさせて幕末に至る。
1871年(明治4)廃藩置県により、4藩はそれぞれ県になり、麻田県・高槻県は大阪府、尼崎県・三田県は兵庫県に編入された。なお96年には新郡区を編制し、東成・住吉両郡を合して東成郡、島上・島下の2郡をもって三島(みしま)郡、豊島・能勢両郡をあわせて豊能(とよの)郡とし、菟原・八部の2郡を武庫郡に編入して7郡とした。西成・東成・三島・豊能の4郡は大阪府、川辺(かわべ)・有馬・武庫3郡は兵庫県に属し、いま大阪府下に大阪・豊中・池田・箕面(みのお)・高槻・吹田(すいた)・茨木(いばらき)・摂津の8市と豊能・三島の2郡、兵庫県下に神戸・尼崎・西宮(にしのみや)・芦屋(あしや)・伊丹(いたみ)・宝塚・川西(かわにし)・三田の8市と川辺郡がある。
産物では、近世に酒と木綿と菜種(なたね)が著名で、伊丹・池田・西宮・灘(なだ)の酒、川崎嶋(しま)木綿・勝間(こつま)木綿、津村木綿織帯および足袋(たび)などは全国各地に出荷された。また池田の植木や炭、北摂(高槻・茨木市)の寒天、武庫の御影石(みかげいし)なども知られた。
[藤本 篤]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
せっつ‐の‐くに【摂津国】

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「摂津国」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●摂津国の関連情報