●政教社【せいきょうしゃ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
政教社
せいきょうしゃ
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デジタル大辞泉
せいきょう‐しゃ〔セイケウ‐〕【政教社】
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世界大百科事典 第2版
せいきょうしゃ【政教社】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
政教社
せいきょうしゃ
明治中期~大正期の国粋主義者の思想・文化団体。1888年(明治21)4月3日に志賀重昂(しがしげたか)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、井上円了(えんりょう)、杉浦重剛(しげたけ)ら13名によって創設され、機関誌『日本人』(後継誌『亜細亜(アジア)』『日本及(および)日本人』)を発刊した。欧米文化の無批判的な模倣に反対し、大同団結運動に参加して立憲主義的な政治論を主張した。政府の欧化路線・条約改正に関しては、その欧米屈従の態度に反対して対外独立の国粋主義の立場をとり、日清(にっしん)戦争の開戦世論の喚起に努めた。初期は志賀、三宅が中心であったが、98年ごろより三宅が中心となった。陸羯南(くがかつなん)主宰の新聞『日本』グループと同傾向の思想をもち、同志的関係にあり、1907年(明治40)1月にこのグループを吸収して機関誌名を『日本及日本人』と改題した。23年(大正12)関東大震災直後に三宅が離脱したため、政教社の伝統は色あせたが、雑誌は45年(昭和20)2月まで刊行された。
[佐藤能丸]
『鹿野政直編『陸羯南・三宅雪嶺』(『日本の名著37』1971・中央公論社)』▽『松本三之介編『政教社文学集』(『明治文学全集37』1980・筑摩書房)』
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精選版 日本国語大辞典
せいきょう‐しゃ セイケウ‥【政教社】
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旺文社日本史事典 三訂版
政教社
せいきょうしゃ
1888年三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛・井上円了らが結成。'88年雑誌『日本人』,'91年雑誌『亜細亜』を発行。政府の欧化政策に反対し国粋主義を主張した。また大隈重信外相の条約改正案反対運動の先頭に立つ。徳富蘇峰の民友社とともに,言論・思想界に大きな影響を与えた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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