●文徳天皇【もんとくてんのう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
文徳天皇
もんとくてんのう
[没]天安2(858).8.27. 京都
第 55代の天皇 (在位 850~858) 。仁明天皇の第1皇子。母は太政大臣藤原冬嗣の娘順子。名,道康。嘉祥3 (850) 年即位したが,政治は太政大臣藤原良房によって行われた。その治世中は藤原氏の勢力が大いに伸張した。陵墓は京都市右京区太秦三尾町の田邑陵。なお天皇一代の実録を『日本文徳天皇実録』という。
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デジタル大辞泉
もんとく‐てんのう〔‐テンワウ〕【文徳天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
文徳天皇 もんとくてんのう
天長4年8月生まれ。仁明(にんみょう)天皇の第1皇子。母は藤原順子。承和(じょうわ)の変(842)後,恒貞(つねさだ)親王にかわって皇太子となり,嘉祥(かしょう)3年父帝の死で即位。政治の実権は,皇后明子の父藤原良房(よしふさ)ににぎられた。天安2年8月27日死去。32歳。墓所は田邑陵(たむらのみささぎ)(京都市右京区)。別名は道康親王,田邑(田村)帝。
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世界大百科事典 第2版
もんとくてんのう【文徳天皇】
第55代に数えられる平安前期の天皇。在位850‐858年。名は道康。仁明天皇を父とし,藤原冬嗣の女順子を母として生まれた。842年(承和9),嵯峨上皇の死を機として起こった承和の変によって皇太子恒貞親王が廃されたため,皇太子に立てられ,850年(嘉祥3)父仁明天皇の病死により位を譲られ即位した。しかし,藤原良房の強大な政治力によって,ほとんど天皇親政を行うことができず,その皇太子も,長子惟喬(これたか)親王の才能を愛したにもかかわらず,良房女明子の生んだ惟仁(これひと)親王(のち清和天皇)を立てざるをえなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
文徳天皇
もんとくてんのう
(827―858)
第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり、即位後は次の皇太子に紀名虎(きのなとら)の娘静子の産んだ第一皇子の惟喬(これたか)親王をたてようとしたが、藤原氏の反対にあい、惟仁(これひと)親王(後の清和(せいわ)天皇)をたてた。天皇は巡幸遊覧を好まず政治に励み、また『続(しょく)日本後紀』の編纂(へんさん)を開始したが、病弱で万機を廃することが多く、政治の実権は藤原良房(よしふさ)にゆだね32歳で崩御。陵墓は京都市右京区太秦(うずまさ)の田邑(たむら)陵。天皇一代の歴史を編年体で記した『日本文徳天皇実録』10巻(879完成)がある。
[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代Ⅱ』(1959・東京大学出版会)』▽『佐伯有清著『伴善男』(1970・吉川弘文館)』
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精選版 日本国語大辞典
もんとく‐てんのう ‥テンワウ【文徳天皇】
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旺文社日本史事典 三訂版
文徳天皇
もんとくてんのう
平安前期の天皇(在位850〜858)
仁明 (にんみよう) 天皇第1皇子。諱は道康。母は藤原冬嗣の娘順子。842年承和の変により恒貞親王に代わって立太子。藤原良房の娘明子が生んだ皇子(清和天皇)を皇太子とした。その治世中,良房が外戚として勢力をふるい,良房は857年太政大臣,翌年清和天皇が即位すると,摂政 (せつしよう) となって摂関政治の端緒を開いた。
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