●文楽座【ぶんらくざ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
文楽座
ぶんらくざ
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デジタル大辞泉
ぶんらく‐ざ【文楽座】
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世界大百科事典 第2版
ぶんらくざ【文楽座】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
文楽座
ぶんらくざ
人形浄瑠璃(じょうるり)の劇場名および劇団名。淡路出身の植村(うえむら)文楽軒が寛政(かんせい)年間(1789~1801)に大坂高津橋(こうづばし)そばに浄瑠璃の小屋を設けたのが始めで、のち4世文楽翁が1872年(明治5)に大阪松島に移り「官許人形浄瑠璃文楽座」の看板を掲げた。文楽座の座名はここに始まる。84年2世豊沢(とよさわ)団平らの彦六(ひころく)座が大阪博労町稲荷(ばくろうちょういなり)境内(けいだい)に開場したため、対抗上御霊(ごりょう)神社境内に移転、以後、御霊文楽とよばれた。以来文楽座の全盛時代を迎えたが、座主の失敗のため1909年(明治42)に経営は松竹合名会社に譲渡された。松竹は新しい興行形式で出発したが、26年(大正15)に御霊文楽座が焼失。30年(昭和5)に四ツ橋の旧近松座を改装して開場し大いに栄えたが、45年に第二次世界大戦中の空襲でふたたび焼失した。翌年2月いち早く復興したが、戦後の混乱で劇団としての文楽座は因(ちなみ)会と三和(みつわ)会の二派に分裂し、15年にわたり苦難の時期を過ごした。その間56年、道頓堀(どうとんぼり)に文楽座が新築移転して因会の本拠となったが、劇団の経営が振るわなくなったため、ついに63年その運営は松竹から財団法人文楽協会に引き継がれ、両派は合同、文楽座は朝日座と改称した。以来文楽座は劇団名としてのみ存続していたが、84年4月、大阪日本橋(にっぽんばし)に国立文楽劇場が開場し、文楽の専用劇場としての役割を果たすことになった。
[山本二郎]
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精選版 日本国語大辞典
ぶんらく‐ざ【文楽座】
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