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文章院【もんじょういん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

文章院
もんじょういん
平安時代,大学寮におかれた曹司 (そうじ。寄宿学舎) の一つ。9世紀中頃菅原清公 (きよとも) の奏請により設置。文章道教授。東西両曹司があり,東曹には大江高階藤原,紀,三善,西曹には菅原,藤原,各氏子弟を収容したが,のちに東は大江,西は菅原氏が曹主となり,それぞれの独占機関となった。治承年間 (1177~81) 焼失し,再建されなかった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

もんじょう‐いん〔モンジヤウヰン〕【文章院】
平安時代の大学別曹承和元年(834)ごろ、菅原清公建議により、文章道を学ぶ学生のための施設として設けられた。東西両曹があり、東曹は大江家、西曹は菅原家が管轄したので、しだいに両氏のための大学別曹となった。

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世界大百科事典 第2版

もんじょういん【文章院】
平安京にある大学寮の中の紀伝道建物。紀伝道の源流は奈良時代にあるが,平安時代に入ってにわかに盛んになり,入唐して昭文館・崇文館を見て帰国した菅原清公が,文章博士が2人に増員されて他道と対等となった834年(承和1)のころ朝廷に申請してすでにあった明経道院(南堂)・算道院・明法道院の北に創建し,北堂ともいわれた。東西曹司(そうじ)があり,菅原・大江両氏が分掌した。北堂では文章博士の講義竟宴(きようえん)がおこなわれ,両曹司には学生が住んだ。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

文章院
もんじょういん

平安時代、文章道の学生(がくしょう)の教育機関。834年(承和1)ごろ菅原清公(すがわらのきよきみ)の建議で、大学寮敷地内に創設。東西両曹司(ぞうし)に分かれ、東曹は大江、高丘、藤原、紀(き)、三善(みよし)の各氏の者が、西曹は菅原、藤原(門流によって分かれる)、橘(たちばな)の各氏の者が籍を置いて勉学した。のちには、東曹は大江氏、西曹は菅原氏が曹主となり、大学別曹をもたない氏の文章生が寄宿するとともに、一般に文章得業(とくごう)生になった者が籍を置いて研鑽(けんさん)する場所となる。大学の教育機関で、各氏の大学別曹とは性格が異なる。

[大塚徳郎]

『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店/復刻・1983・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

もんじょう‐いん モンジャウヰン【文章院】
平安京にあった大学寮を構成する紀伝道の建物。文章道を学ぶ学生を教育し、またその一部分を寄宿させたもの。承和元年(八三四)に創設され、東西両曹があり、東曹は大江家、西曹は菅原家が管轄した。大学別曹とは元来異質のものであったが、次第に菅原・大江両氏のための施設としての性格が強くなった。

出典:精選版 日本国語大辞典
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