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斎藤道三【さいとうどうさん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

斎藤道三
さいとうどうさん
[生]明応3(1494).山城,西岡
[没]弘治2(1556).4.20. 美濃
戦国大名。松波基宗の子といわれる。幼時,京都妙覚寺に入って法蓮房と号したが,還俗して松波庄九郎と称し,山崎屋と号して油売りを業とした。美濃守護土岐氏の宿老長井家,斎藤家に出入りしているうちに,長井家の家臣西村三郎左衛門の跡を継いで西村勘九郎と名のった。享禄3 (1530) 年1月長井利安を殺して天文2 (33) 年名を長井新九郎規秀,同5年利政と改め,次いで同7年守護代斎藤利良が没すると斎藤氏を名のり,のち秀龍と改めた。翌年稲葉山に築城してここに拠り,同 11年8月土岐頼芸を尾張に追って美濃国を押領し国主となった。同 18年入道して道三と称した。弘治2 (56) 年長子義龍と長良川に戦って敗死下剋上の典型的な一例とされる。1女は織田信長に嫁した。

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デジタル大辞泉

さいとう‐どうさん〔‐ダウサン〕【斎藤道三】
[1494~1556]室町後期の武将。山城の人。名は利政、のち秀竜。道三は法名。油売りから身を起こして守護土岐氏を追い、美濃一国を治めて稲葉山に築城。のち、長男義竜に討たれた。織田信長はその女婿

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

斎藤道三 さいとう-どうさん
1494/1504-1556 戦国時代の武将。
明応3/永正(えいしょう)元年5月生まれ。天文(てんぶん)3年美濃(みの)(岐阜県)守護土岐(とき)氏の家臣長井景弘を討ち,6年ごろ守護代斎藤氏の名跡をつぐ。11年土岐頼芸(よりなり)から美濃をうばい,17年娘の濃姫(のうひめ)を織田信長の妻とする。のち子の斎藤義竜(よしたつ)とたたかい,弘治(こうじ)2年4月20日長良川(ながらがわ)河畔で敗死。53/63歳。山城(京都府)出身。初名は長井規秀。名は利政とも。通称は勘九郎,新九郎。
【格言など】捨ててだにこの世のほかはなき物をいづくかつひのすみかなりけん(辞世)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

さいとうどうさん【斎藤道三】
?‐1556(弘治2)
戦国時代の武将。藤原規秀,長井新九郎規秀(のりひで),斎藤左近大夫利政などと名のる。道三は法名。父長井新左衛門尉は,京都の妙覚寺の僧で,還俗して美濃守護土岐氏の家臣長井弥二郎に仕え,西村と名のり土岐家中の混乱に乗じ土岐氏の三奉行の一人にまで出世した。道三は父の死により1533年(天文2)家督をつぎ,翌年長井氏の惣領長井藤左衛門尉景弘を倒した。さらに35年土岐頼芸(よりのり)をかついで,美濃守護土岐次郎頼武追放のクーデタに成功し,美濃国土岐家の実権をにぎった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

さいとうどうさん【斎藤道三】
1494~1556) 戦国時代の武将。もと山城国の油商人という。美濃国守護土岐頼芸よりなりの臣。守護代斎藤氏を継いで、秀竜を名乗り、稲葉山城に拠る。のち頼芸を追い美濃一国を領して勢威を振るったが、長子義竜と戦い、長良川で敗死。織田信長はその女婿。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

斎藤道三
さいとうどうさん
(?―1556)
戦国大名。初め長井規秀(のりひで)、のち斎藤利政(としまさ)、晩年入道して道三と号す。北条早雲(そううん)などとともに戦国の梟雄(きょうゆう)といわれ、典型的な下剋上(げこくじょう)の体現者とされる。俗説によれば、山城(やましろ)(京都府)西ヶ岡の松波基宗(まつなみもとむね)の子で、日蓮(にちれん)宗京都妙覚(みょうかく)寺の学僧であったが、還俗(げんぞく)して油商奈良屋に入婿(いりむこ)、山崎屋庄五郎と改名してたびたび美濃(みの)(岐阜県)へ行商にくるうち、学僧時代の同僚で長井長弘の弟常在寺日護(じょうざいじにちご)の推挙で長弘に仕官、西村氏の名跡を継いで西村勘九郎と名のった。やがて、兄政頼(まさより)との守護職相続争いに敗れて失意の土岐頼芸(ときよりのり)に近づき、政頼を追って頼芸を守護とし、さらに長弘を暗殺、長井氏の名跡、ついで守護代斎藤氏の名跡をも冒し、1542年(天文11)には頼芸までも追放して自ら美濃の国主となったと伝える。
 この俗説には混同があり、その前半部分は道三の父の事績で、道三の国盗(くにと)りの過程は、実際には道三とその父の2代にわたったことが明らかにされている。妙覚寺学僧で還俗して西村を称したのは実は道三の父新左衛門尉(しんざえもんのじょう)であり、新左衛門尉は守護土岐氏の有力家臣長井氏に出仕してしだいに台頭、長井氏を称し長井氏惣領(そうりょう)と並ぶ実力者に成長する。新左衛門尉は1533年(天文2)死去するが、その子長井規秀(道三)の確実な初見も33年で、同年もしくは34年、道三は長井氏惣領を討ち、35~36年、時の守護土岐二郎(実名未詳)を追放して頼芸を守護とする。37年ごろ守護代斎藤氏の名跡を継いだらしく、斎藤利政と名のり美濃の実権を握ると、やがて52年頼芸をも追放するが、子の義龍(よしたつ)と不和になり、56年(弘治2)4月長良(ながら)川畔に戦って敗死した。織田信長、飛騨(ひだ)の三木自綱(よりつな)はその女婿。[谷口研語]
『『岐阜市史 通史編 原始・古代・中世』(1980・岐阜市)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

さいとう‐どうさん【斎藤道三】
戦国時代の武将。山城の油売りから身を起こしたといわれるが、それは父の代の出来事らしい。彼の父は美濃国の名族長井氏を名乗るまでになっていたが、道三は更に斎藤の姓を冒し、天文一三年(一五四四)守護土岐頼芸を逐って美濃国を握った。実名は秀龍といわれるが、史料には利政がみえるのみである。のち、子の義龍と戦い、長良川で敗死した。法名道三。明応三(永正元とも)~弘治二年(一四九四?━一五五六

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