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新教育【しんきょういく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

新教育
しんきょういく
new education
20世紀に入って世界的に展開された新しい性格の教育従来の教育が教科書中心,教師中心,暗記中心であったことへの批判として,「児童から」のモットーが端的に示すように,教育の中心は児童であるという立場に立ち,児童の自発的活動,児童の心理,児童の発達などを基本とする教育を展開した。その実践形態は多種多様であり,児童を極端な束縛から解放する功績は大きかったが,児童中心に偏するあまり,無統制,無方向,無系統に流れる傾向を生じ,批判もこれらの点に集った。日本でも大正中期以後盛んに行われた。これとは別に第2次世界大戦後の制度改革後の教育を新教育と呼ぶこともある。

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デジタル大辞泉

しん‐きょういく〔‐ケウイク〕【新教育】
従来の教育に対して提唱される、新しい教育。
教科書中心・教師中心の教育に対し、児童の個性興味を中心とし、自発的活動を重んじる教育。19世紀末以降、欧米を中心に展開され、日本では大正期に盛んになった。また、第二次大戦後の教育指針・方策をいう。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

しんきょういく【新教育】
一般的には,それまでの教育の古さを批判し革新する教育,というように理解されているが,より限定した意味では,19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ,アメリカの教育界を中心におこった児童中心主義的な教育思潮とそれにもとづく教育改革の試みをいう。1898年にフランスの教育改革者ドモランJ.E.Demolins(1852‐1907)が《新教育L’éducation nouvelle》と題する著作で,中等教育カリキュラムの改革と生徒の自主的活動を重視すべきことを強調し,さらにほぼ同時期にイギリスのC.レディ,ドイツのH.リーツ,アメリカのJ.デューイらによって新しい理論や実践がなされたことで,新教育は一つの運動となった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

新教育
しんきょういく

広くは旧来の教育の克服を目ざす新しい教育の試みを意味するが、とくに19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米先進諸国を中心に世界的に広がった教育改革運動の全体をさす。イギリスのアボッツホームの新学校を嚆矢(こうし)とする田園教育舎、モンテッソリやドクロリーO. Decroly(1871―1932)の障害児教育の知見から生まれた理論と実践、学習と作業の結合を目ざした労作教育、北ドイツに広がった生活共同体学校、芸術による人間形成を目ざした芸術教育運動、デューイの実験学校と教育理論など、多様な理論と実践からなるが、およそ、「児童から」vom kinde ausという象徴的スローガンのもとに、旧来の教師中心の画一的、注入主義的教育を批判し、児童の生活、活動、興味を中心にした教育課程、教育方法を試みるという共通の性格をもっている。

 日本では、大正期に新教育の理論や実践が活発に紹介、導入され、自由教育あるいは新教育の名で華やかな展開がみられたが、すでに明治30年代に、樋口(ひぐち)勘次郎(1871―1917)が「活動主義」を、谷本富(とめり)(1867―1946)が「自学輔導(ほどう)」を唱えることによって、その底流が築かれていた。それらは欧米の新教育理論に拠(よ)りつつ、当時弊害をあらわにしていたヘルバルト派教授法の克服を目ざしたものであったが、同様の試みは兵庫県明石(あかし)女子師範附属小学校主事であった及川(おいかわ)平治によって実践に移された。彼は「分団式動的教育」を唱え、1909年(明治42)から同校で、「為(な)すことによって学ばしむる」動的教育と、児童の能力差、個性に着目した分団式教授の具体的、体系的な実践を行い、大正前期には全国的な注目を集めた。これを先駆けとして、大正中期には師範学校附属小学校を舞台に、たとえば奈良女子高等師範附属小学校では木下竹次(1872―1946)が「合科学習」を、千葉師範附属小学校では手塚岸衛(きしえ)(1880―1936)が「自由教育」を、東京女子高等師範附属小学校では北沢種一が「労作教育」を、それぞれ具体化させた。一方、明治末年から新教育を標榜(ひょうぼう)する私立学校が続々と誕生した。西山哲次の帝国小学校(1912)、中村春二の成蹊(せいけい)学園(1912)、沢柳政太郎の成城小学校(1917)、羽仁(はに)もと子の自由学園(1921)、西村伊作の文化学院(1921)、赤井米吉の明星学園(1924)、野口援太郎らの児童の村小学校(1924)、小原国芳(おばらくによし)の玉川学園(1929)などが代表的なものであるが、いずれも児童・生徒の自発性、個性を尊重した自由主義的な教育あるいは生活教育を行った。

 このように、新教育の華々しい理論と実践の舞台となったのは師範学校附属小学校や私立学校に限定されていたが、それらの学校は公立小学校の教師たちをひきつけ、多くの参観者を生み出すなど、全国的に大きなうねりをつくりだした。その象徴が、1921年(大正10)東京高等師範学校講堂で開かれ、約4000人の聴衆を集めた「八大教育主張」大会である。ここで、及川平治が「動的教育論」に、稲毛金七(1887―1946)が「創造教育論」に、樋口長市(1871―1945)が「自学教育論」に、手塚岸衛が「自由教育論」に、片上伸(のぶる)が「文芸教育論」に、千葉命吉(1887―1959)が「一切衝動皆満足論」に、河野清丸(1873―1942)が「自動教育論」に、小原国芳が「全人教育論」に、それぞれ熱弁を振るった。こうしたうねりは、文部省の圧力によって大正後期にはしだいに低調となっていったが、そのなかから生活綴方(つづりかた)教育など昭和期の教育運動へ連なっていくものも生まれた。

[三原芳一]

『中野光著『大正自由教育の研究』(1968・黎明書房)』『中野光著『教育改革者の群像』(1976・国土社)』『小原国芳編『日本新教育百年史』全8巻(1980・玉川大学出版部)』

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精選版 日本国語大辞典

しん‐きょういく ‥ケウイク【新教育】
〘名〙
① それまでの教育に対する、新しい立場にたつ教育。
※破垣(1901)〈内田魯庵〉二「明治の新教育を受けただけに」
② 教師中心的な教育に対する、児童中心的な教育。特に、デューイやキルパトリックなどの教育観に基づく立場の教育を意味することが多い。

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