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新軍【しんぐん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

新軍
しんぐん
Xin-jun; Hsin-chün
中国,清末の洋式訓練を受け近代装備をもった軍隊。「新建陸軍」の。日清戦争の敗北後,清朝は天津付近に駐屯して光緒 30 (1904) 年頃までに「北洋六鎮」といわれる6個師団を編成した。さらに 36個師団編成計画を立てたが,その精鋭の多くは袁世凱の編成になるもので,この武力が袁の政権掌握を可能ならしめた。また,華中華南の新軍将兵のなかには革命を志向するものも多く,辛亥革命にあたって,各地で革命政権の樹立に貢献した。

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世界大百科事典 第2版

しんぐん【新軍 Xīn jūn】
中国,清末に新編創建された新建陸軍の略称。日清戦争により勇営(建国以来の八旗緑営制を太平天国後に改編した中心的漢人部隊)の無能が明らかとなり,西洋式の軍隊が建設されることとなった。1895年(光緒21),淮勇(わいゆう)の一部の定武軍10営を基礎に,天津南東の小站で7300名の新軍が発足した。監督は袁世凱(創立当初は胡棻(こいつふん)),教育長は李鴻章の軍事顧問ハンネケンH.von Hannekenで,万般,ドイツを模範にした。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

新軍
しんぐん

中国、清(しん)末に編成された中国最初の近代的軍隊。1894年、5000人、10営で編成した定武軍に始まり、日清戦争敗戦後、袁世凱(えんせいがい)が受け継ぎ、新建陸軍と改称して、天津(てんしん/ティエンチン)近郊の小站(しょうたん)で、ドイツの軍隊をモデルに本格的な建設を開始した。義和団事件後の清朝は、「新政」の要(かなめ)として騎兵、歩兵、工兵、輜重(しちょう)などの各兵種をもち、1万2512人からなる「鎮(ちん)」(師団相当)を全国で36編成することとした。国内各地に武備学堂(士官学校)を設立して、その卒業生ならびに留学生を士官とし、徴募する兵士にも、識字能力、体格、道徳その他一定の基準を設けた。辛亥(しんがい)革命当時までに13ないし14鎮建設され、そのうち袁世凱が掌握していた北洋新軍を中央軍、他を地方軍として清朝の支柱にしようとした。しかし、将兵に革命思想が浸透し、武昌(ぶしょう/ウーチャン)の新軍の蜂起(ほうき)が辛亥革命の発端となった。

[小島晋治]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

新軍
しんぐん
清末に編成された近代的陸軍。新建陸軍の略称
日清戦争で従来の軍隊の無能が明らかになると,清朝は1895年,淮軍の一部を基礎に,天津郊外の小站 (しようたん) でドイツ式の近代軍隊の編成に着手。新軍編成の計画は全国的に続けられたが,袁世凱 (えんせいがい) の北洋新軍6鎮は最も早く編成され,彼の私兵としての北洋軍閥母体となった。各省の新軍はその省の出身者で占められ,日本留学中に革命思想の洗礼を受けた将校も多く,武昌の新軍は1911年辛亥革命の口火を切った。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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