●旗本【はたもと】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
旗本
はたもと
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デジタル大辞泉
はた‐もと【旗本】
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世界大百科事典 第2版
はたもと【旗本】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
旗本
はたもと
江戸時代1万石未満の幕臣の総称。将軍と謁見する資格のある者を旗本といい、ないものを御家人(ごけにん)という。もともと征夷(せいい)大将軍の唐名を幕下(ばっか)といい、旗本は帷幕(いばく)と軍旗を守る将士の意味で一般に使用された。江戸初期には旗本の語意は幕臣一般の総称として使われ、御家人との区別は明確でなかったが、17世紀後半以降、両者を分ける風が定着していった。公式文書では御目見(おめみえ)以上と書くことが多い。総数は約5200家。ほかに御家人は約1万7000家に上った。三河以来の譜代(ふだい)の士や分家、織田(おだ)氏や豊臣(とよとみ)氏以来の旧家の子孫や学問技芸により新たに召し出された者など多様な家で構成されていた。
[佐々悦久]
知行形態
旗本の俸禄(ほうろく)には知行取(ちぎょうとり)と蔵米取(くらまいとり)があった。知行取は実際に領地が与えられるもので、蔵米取は直轄領から収納した蔵米のなかから決まった額の米を支給されるものである。知行取は武家本来の知行形態のあり方として意識され、望む者が多かった。このため大名の家臣では18世紀以降になると蔵米取が大部分を占めるのに対して、旗本の場合には知行取も多い。18世紀後半の知行取は2908人・275万石余、蔵米取は2030人・45万俵余となっている。蔵米取にはさらに切米(きりまい)取、現米(げんまい)取、扶持米(ふちまい)取の3種類があった。もっとも多いのが切米取で、俵高で示された。たとえば切米100俵は、1俵3斗5升の割合で計算され35石の米が幕府の米蔵から支給された。階層的には100俵から500俵が中心である。
[佐々悦久]
非役と勤仕
旗本は江戸集住を原則とし武家諸法度(ぶけしょはっと)などにより幕府の統制を受けた。非役の者も多く、家禄の高と由緒に応じて交替寄合(こうたいよりあい)、寄合、小普請(こぶしん)などの溜(たまり)の役に編成され、無役御役金を上納することとされた。就職・昇進は寄合と小普請で異なり、家柄や家禄、父親の勤功、本人の特技などにより決定された。寄合は布衣(ほい)に相当する格式をもち、番士となることは少なく、中奥小姓(なかおくこしょう)などの役職についた。小普請の場合、そのなかに両番筋、無筋、大番筋などの番方各職に対応する家格があり、これにしたがって番士となるのがもっとも一般的である。
[佐々悦久]
旗本知行所
知行取の旗本を地頭(じとう)といい、その領地を知行所、地頭所といった。知行所は近世を通して46か国にわたって分布している。うち約8割が関東地域に集中し、畿内(きない)、東海地域の順となっている。知行所はひとまとまりに与えられるのでなく、数か村に分散したり、相給(あいきゅう)といい一村を複数の領主で支配するのが一般的である。支配は陣屋か、もたない場合は有力な村役人を在役(ざいやく)に任命して行った。行政や司法は幕府に準拠して行われたが、なかには知行所法度を定めて基本法とした所もある。家臣は幕府の軍役規定に応じて抱えられたが、実際はずっと少なく、必要なときは日雇いにするか知行所に勤めさせた。財政は知行規模が小さいため初期から困窮し、近世を通してそれが恒常化していることが多い。
[佐々悦久]
『新見吉治著『旗本』(1967・吉川弘文館)』▽『鈴木寿著『近世知行制の研究』(1971・日本学術振興会)』
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精選版 日本国語大辞典
はた‐もと【旗本】
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旺文社日本史事典 三訂版
旗本
はたもと
御家人とともに幕府の常備軍的性格をもち,江戸に居住。両者を直参 (じきさん) と総称。原則として知行地を有したが,その多くは幕府の代官が支配し,俸禄米だけを収納した。町奉行・遠国 (おんごく) 奉行など,役方・番方に分かれ幕府の役職についたが,非役の者は3000石以上を寄合 (よりあい) ,未満を小普請 (こぶしん) と呼んだ。俗に「旗本八万騎」と称されるが,享保年間(1716〜36)に旗本約5000,御家人約1万7000,それにそれぞれの家臣を含めて約8万人であった。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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