●日向【にこう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
日向
にこう
[没]正和3(1314)
鎌倉時代の日蓮宗の僧。六老僧の一人。佐渡阿闍梨とも呼ばれる。比叡山で勉学したが,13歳で日蓮の門に入り,日蓮の佐渡配流にも従った。正応1 (1288) 年身延山を継ぎ,26年間在職。主著『金綱集』 (14巻) ,『高祖一期行状日記』『天目日向問答記』。
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日向
ひゅうが
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デジタル大辞泉
ひ‐な‐た【日▽向】
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ひゅうが〔ひうが〕【日向】


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
日向 にこう
建長5年2月16日生まれ。日蓮門下六老僧のひとり。日向門流(身延門流)の祖。はやくから日蓮に随従し,師の死後,上総(かずさ)(千葉県)に妙光寺をひらく。正応(しょうおう)元年身延山久遠寺2世となり,波木井実長(はきい-さねなが)の助けをえて同寺の発展につとめた。正和(しょうわ)3年9月3日死去。62歳。上総出身。俗名は小林藤三郎実信。通称は佐渡阿闍梨(あじゃり),民部阿闍梨。著作に「金綱集」など。
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デジタル大辞泉プラス
日向
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日向
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世界大百科事典 第2版
にこう【日向】
鎌倉時代の日蓮宗の僧。日蓮の直弟,身延山久遠(くおん)寺第2世。上総国茂原(千葉県)小林氏の出身と伝える。佐渡阿闍梨(あじやり)と称した。1276年(建治2)日蓮の旧師,安房清澄寺道善房死去のおりには,日蓮の書いた《報恩抄》をその墓前で代読した。82年(弘安5)日蓮が本弟子として指定した6人(六老僧)のうちにも加えられている。日蓮没後,その廟所である甲斐身延に登り,日興(につこう)とともに廟所に給仕し,学頭として門下の教育に当たったが,日興が日蓮在世以来の信奉者波木井(はきい)氏の信仰のあり方を批判して88年(正応1)身延を離山した後,身延の経営に当たった。
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ひむか【日向】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
日向
にこう
(1253―1314)
鎌倉時代の日蓮(にちれん)宗の僧。三位房(さんみぼう)、佐渡公(さどこう)とも称される。上総(かずさ)国藻原(もばら)(千葉県茂原(もばら)市)の出身と伝えられる。幼少のときから日蓮のもとに投じて、つねに師に従って修学し、困苦をともにしたという。とくに身延山(みのぶさん)に隠棲(いんせい)した日蓮と、地方に住む信者との間を、手紙などをもってつなぐ重要な役割を果たした。1282年(弘安5)の日蓮入滅(にゅうめつ)に際しては、本弟子6人のうちの一人に選ばれ、後世に六老僧の一人として敬われている。日向の本拠は藻原の妙光(みょうこう)寺(現在は藻原(そうげん)寺)であるが、1288年(正応1)に身延山久遠(くおん)寺(山梨県身延町)の住持に迎えられ、あとを日秀(1264―1334)に任せてここに移った。領主の波木井実長(はきいさねなが)(1222―1297)の助力を得て久遠寺の基礎を固め、藻原に隠棲して没した。
[中尾 尭 2017年9月19日]
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367日誕生日大事典
日向 (にこう)
鎌倉時代後期の僧
1314年没
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精選版 日本国語大辞典
ひ‐な‐た【日向】
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ひむか【日向】
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ひ‐むかい ‥むかひ【日向】
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ひゅうが ひうが【日向】
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旺文社日本史事典 三訂版
日向
ひゅうが
記紀の伝承によれば皇室の発祥地で,瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) がこの地の高千穂峰に降臨。神武天皇がこの地から東征し,大和地方を平定したという。西都原などの古墳群が存在し古くからの文化の発達がうかがわれる。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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