●日宋貿易【にっそうぼうえき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
日宋貿易
にっそうぼうえき
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にっそう‐ぼうえき【日×宋貿易】
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世界大百科事典 第2版
にっそうぼうえき【日宋貿易】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
日宋貿易
にっそうぼうえき
10世紀後半~13世紀後半の間、日本と中国の北宋(ほくそう)・南宋(なんそう)との間で行われた貿易。中国人の海外発展は7~8世紀ごろよりアラビア商人の活発な通商活動に刺激されて、広州(こうしゅう)を中心とする南海方面を舞台に始まった。9世紀中葉からは、南海貿易で得た東南アジアの特産品を日本へももたらす唐(とう)の海商が現れた。
唐末五代の混乱期を経て宋朝の中国再統一がなると、治安の安定、国内諸産業の発展、南海貿易の復興などによって、宋海商の日本来航は唐代をはるかにしのぐようになった。宋海商らは、東シナ海のモンスーン・海流を熟知し、日宋間を片道5~7日で航海した。彼らは、5、6月の西南風に乗って来日し、翌年3、4月の東北風を利用して帰航するのが通例であった。
前期(10世紀後半~12世紀前半)には、博多(はかた)を交易の場とし、大宰府(だざいふ)の統制の下に交易が行われた。宋海商が携帯する渡航証である「公凭(こうひょう)」(商人の身分、積載貨物の内容、来航目的などを記載。高麗(こうらい)・日本との貿易のために開港した明州の貿易監督機関である市舶司(しはくし)が発給した)を基に大宰府に派遣された朝廷の唐物(からもの)交易使が先買権を行使し、その後に一般の交易が許されるという形態をとった。のち、朝廷からの目録を基に大宰府官吏が先買権を行使するようになり、大宰府の貿易管理が強化されたため、これを嫌う宋海商らは不入権を獲得した権門寺社領の荘園(しょうえん)内の港湾に着岸して私貿易を行うようになった。このため、九州西岸を中心として博多から薩摩(さつま)に至る広い地域に交易の場は拡大し、貿易統制権をめぐって大宰府と荘園領主との訴訟が頻発した。
後期(12世紀後半~13世紀後半)には、日本側に平氏政権が成立し、大輪田泊(おおわだのとまり)を修築して宋商船を瀬戸内海へ引き入れて貿易を行うなど新たな局面が切り開かれた。続く鎌倉幕府も基本的に対宋貿易には積極的に関与し、鎌倉の外港和賀江(わかえ)(飯島津(いいじまのつ))、六浦(むつら)にも宋商船の来航があったようである。こうしたなかで、日本人で宋に渡航する者が輩出した。南宋に渡る日本船は、1年に40~50艘(そう)に及んだといわれる。北宋・南宋ともに一貫して対日貿易には積極的だったが、1127年以後、華北を支配する金(きん)と対抗する財源を貿易の利に求めたため、日本側の対外政策の積極化と相まって日宋貿易は空前の活況を呈した。
日宋貿易を通じて、宋側からは「唐物」といわれる香料・陶磁器・書籍・南海産の鳥獣・医薬品・銅銭などが輸入され、日本からは刀剣・水銀・硫黄(いおう)・木材・砂金などが輸出された。とくに日宋貿易を通じて輸入された銅銭、最新の建築・土木技術、禅宗は日本の社会経済・文化の諸分野に多大な影響を与えた。
[横井成行]
『藤田豊八著『東西交渉史研究 南海篇』(1932・岡書店)』▽『『蒲寿庚の事蹟』(『桑原隲蔵全集 第五巻』所収・1968・岩波書店)』▽『曽我部静雄著『日宋金貨幣交流史』(1949・宝文館)』▽『『森克己著作選集1~4』(1975・国書刊行会)』▽『張祥義「宋代市舶司貿易研究の現状と課題」(『亜細亜大学教養部紀要』24所収・1982・亜細亜大学)』
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にっそう‐ぼうえき【日宋貿易】
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旺文社世界史事典 三訂版
日宋貿易
にっそうぼうえき
宋からは明州(寧波)を拠点として日本の大宰府に商船が来航し,鴻臚館で貿易を行った。民間貿易も盛んで,日本からは砂金・水銀・硫黄・真珠・刀剣などが輸出され,陶磁器・漢籍・経典・綾錦・香料・染料に加えて大量の宋銭を輸入した。
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旺文社日本史事典 三訂版
日宋貿易
にっそうぼうえき
894年遣唐使の廃止後,中国との国交はとだえたが,中国商船は宋に代わってからも引き続き来航し,私貿易は盛んとなった。12世紀後半,平清盛は日宋貿易の利に着目し,貿易の拡大をはかるため,瀬戸内海航路を整備し,大輪田泊 (おおわだのとまり) を修築したので,渡来する宋商船がふえた。金・硫黄・刀剣・漆器などを輸出し,絹織物・香料・陶器・書籍・銅銭などを輸入。特に宋銭は日本の貨幣流通を促進した。
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