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日野富子【ひのとみこ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

日野富子
ひのとみこ
[生]永享12(1440).京都
[没]明応5(1496).5.20. 京都
室町幕府8代将軍足利義政の室。日野重政の娘。 16歳で義政に嫁し,初め男子がなかったため,義政の弟浄土寺義尋 (義視) を還俗させて後嗣とした。しかし寛正6 (1465) 年義尚が生れたので,義尚を将軍の後継者とするため山名宗全と結び,義視を推す執事細川勝元と争い,ついには応仁の乱を引起した。そのため幕府実権は失われ,社会は混乱し,政治は腐敗の極にあったが,富子は兄の左大臣日野勝光と結んで賄賂をとり,内裏修理を口実に関を設けて関税を課し (→七口の関 ) ,高利貸をして私腹を肥やした。義尚を将軍にすることには成功したが,彼は延徳1 (89) 年近江で陣し,さらに翌年義政も没したので,その権勢も衰え,義視の子の義稙が将軍となると所領は没収され失意のうちに没した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ひの‐とみこ【日野富子】
[1440~1496]室町幕府8代将軍足利義政の妻。実子義尚(よしひさ)の将軍就任を企て義政の弟義視(よしみ)対立し、応仁の乱端緒をつくった。京都諸口の関所の設置、そのほか幕政に深く関与した。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

日野富子 ひの-とみこ
1440-1496 室町時代,足利義政の妻。
永享12年生まれ。日野政光(重政)の娘。日野勝光の妹。子の足利義尚(よしひさ)を将軍の跡継ぎにしようとして山名持豊(宗全)とむすび,義政の弟義視(よしみ)をおす細川勝元とあらそい,応仁の乱をひきおこす。義尚が9代将軍となると,幕政に関与。高利貸し,関所新設による関銭の徴収などで蓄財をはかった。明応5年5月20日死去。57歳。法号は妙善院。
【格言など】世を祈る心を神のうけぬともこの言の葉にさらにこそ知れ(「亜槐(あかい)集」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ひのとみこ【日野富子】
1440‐96(永享12‐明応5)
室町中期の女性。8代将軍足利義政の室。政光(重政)の娘。1455年(康正1)義政に嫁ぎ,59年男子を得るが死産であった。ところが,義政の愛妾とも乳母ともいわれる今参局(いままいりのつぼね)が富子を詛したことが露顕したため,富子は義政を動かしてこれを殺害した。その後も男子なく,64年(寛正5)義政は弟浄土寺門主義尋(義視)を養子にしたが,翌年富子は懐妊,男子を出産した。これが義尚である。《応仁記》は富子が義尚の後見を山名持豊に依頼し,一方,細川勝元が義視の後見であったため両者の対立が激化したと説くが確証はない。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

日野富子
ひのとみこ
(1440―1496)

室町幕府8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の室。日野重政(しげまさ)(政光(まさみつ)改め)の女(むすめ)。9代将軍義尚(よしひさ)の母。1455年(康正1)16歳で義政に嫁し2女を生んだが、男子を得られなかったので、義政は64年(寛正5)弟の浄土寺義尋(ぎじん)を還俗(げんぞく)させ義視(よしみ)と名のらせ後嗣(こうし)と決めた。ところが翌65年に富子は義尚を生み、彼を将軍継嗣にたてようとして兄の勝光(かつみつ)や伊勢貞親(いせさだちか)と結んで義視排斥を画策し、義視を支持する細川勝元(かつもと)と鋭く対立した。66年(文正1)伊勢貞親が義視排斥に失敗し近江(おうみ)(滋賀県)に去ったため、有力な支持者を失った日野兄妹は山名宗全(やまなそうぜん)に義尚の後見を頼むに至り、細川勝元と山名宗全の勢力争いに拍車をかけ、応仁(おうにん)の乱(1467~77)を引き起こす引き金となった。うち続く戦乱のなかで家督相続者となった義尚が73年(文明5)9歳で元服し将軍になると、富子は幕政に深く介入するようになり、ことに兄勝光の死後は権勢を一手に握り、彼女のもとに祝い物を届ける人々の列が1~2町にも及んだという。夫義政が現実政治から逃避し東山(ひがしやま)山荘で隠遁(いんとん)生活を送ったのとは対照的に、関所設置による課税や米の投機的売買、高利貸活動などによって利殖に努め、その富を背景に専横を極め、天下の料足(りょうそく)(貨幣)はみな富子のもとに集まるとさえいわれるほどであった。1478年に幕府は内裏(だいり)修理料の名目で京都七口(ななくち)関を置き関銭を徴収した。これはすべて富子の着服するところであったが、これらの関は80年の土一揆(つちいっき)によりことごとく破られる。義政との疎遠に加え83年には子義尚とも不和になり、以後富子は急速に権勢を失う。89年(延徳1)義尚が近江の六角(ろっかく)討伐の陣中で病いに倒れ、25歳で世を去り、翌年には義政とも死に別れ、尼となった富子の晩年は室町幕府の衰退とともにあった。将軍には義視の子義材(よしき)(のち義稙(よしたね))が就いたが、実権は細川政元(まさもと)の掌握するところとなり、富子も政元の支持によって勢力を保っていたにすぎない。明応(めいおう)5年5月20日、57歳で没した。妙善院と号す。京都の宝鏡寺に富子の木像がある。

[酒井紀美]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ひの‐とみこ【日野富子】
室町幕府八代将軍足利義政夫人。実子義尚の将軍継承を図って山名宗全を後見者とし、応仁の乱の原因をつくった。また、幕府の政治に専横をきわめ、京都七口に関所をつくり関税をとったり、高利貸・米相場にも手を出したりするなどして富を築き、経済を混乱させた。永享一二~明応五年(一四四〇‐九六

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旺文社日本史事典 三訂版

日野富子
ひのとみこ
1440〜96
室町幕府8代将軍足利義政の夫人
日野家に生まれ,16歳で義政に嫁し,2女を生んだ。初め男子なく,義政が弟義視 (よしみ) を後継者と決めた直後義尚 (よしひさ) を生み,実子義尚を将軍にするため,山名宗全を後援者として応仁の乱を引き起こした。また京都の周囲に新関を設け,米相場・賄賂・高利貸などを行って,義政をこえる勢力をもったといわれる。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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