●明暦の大火【めいれきのたいか】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
明暦の大火
めいれきのたいか
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
めいれき‐の‐たいか〔‐タイクワ〕【明暦の大火】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
めいれきのたいか【明暦の大火】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
明暦の大火
めいれきのたいか
1657年(明暦3)1月18、19日の両日にわたる江戸の大火。振袖(ふりそで)火事、丸山火事ともいう。18日の午後2時半すぎ、本郷丸山町の本妙寺から出火、おりからの大風のため翌19日にかけて本郷、湯島、駿河台(するがだい)、神田橋、一石(いちこく)橋、八丁堀、霊岸嶋(れいがんじま)、佃島(つくだじま)から深川、牛島新田に延焼した。一方、駿河台から北柳原、京橋、伝馬(でんま)町、浅草門にも火が及んだ。19日も風はやまず、小石川新鷹匠(しんたかじょう)町から出火、小石川、北神田から江戸城本丸、二の丸、三の丸を延焼した。さらに同日夜麹町(こうじまち)五丁目より出火、桜田一帯、西の丸下、京橋、新橋、鉄砲洲(てっぽうず)、芝に及んだ。火元は以上三か所である。類焼地域は江戸全市に及び焼死者は10万人を超えた。寒気と21日の大吹雪のため罹災(りさい)者の凍死する者が多く、幕府は救(すくい)小屋を設けたり粥(かゆ)の施行(せぎょう)をして救済にあたった。この大火を機に江戸の都市計画が進められ、大名、旗本宅地の引き替え、寺社の移転、火除地(ひよけち)、広小路の新設など多方面に及んだ。
振袖火事の名称の由来は、ある若衆を見そめた16歳の娘が、それがもとで病死したので菩提寺(ぼだいじ)の本妙寺に葬った。その娘が着ていた紫縮緬(ちりめん)の振袖の古着を着た2人の娘はいずれも16歳で、しかも3年続けて同じ月日に次々と病死した。命日に集まった三家が不思議な因縁に驚き、問題の振袖を焼き捨てたところ、火がついたまま舞い上がって本妙寺本堂に燃え移り、ついに江戸中を焼き払ったためと伝えられている。しかし史実とはいいがたい。
[南 和男]
『黒木喬著『明暦の大火』(講談社現代新書)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
めいれき【明暦】 の 大火(たいか)
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
明暦の大火
めいれきのたいか
振袖火事ともいう。本郷本妙寺から出火して江戸市街の6割を焼き,死者10万余人を出した。江戸城本丸はじめ大名屋敷も多く焼亡したので,幕府は大名藩邸や寺社を郊外に移し,火除地を設け,本所・深川に市街地を拡大,隅田川に大橋(両国橋)をかけた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「明暦の大火」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●明暦の大火の関連情報