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明石城跡【あかしじょうあと】

国指定史跡ガイド

あかしじょうあと【明石城跡】

兵庫県明石市明石公園にある近世の城跡。京や大坂のすぐ西に位置し、付近には山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、南は明石海峡に面する水陸交通の要衝に立地する。台地の突端部に築かれ、北側は自然の谷を堀として、本丸を中心に、東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭(くるわ)が設けられた。主郭部には穴太(あのう)積みによる石垣がめぐり、天守台は築かれたが天守はなく、本丸の四隅に三重櫓(やぐら)が造られた。そのうちの巽(たつみ)櫓と坤(ひつじさる)櫓が現存し、重要文化財になっている。城郭の外側には東、南、西に武家屋敷が展開する外郭があり、外周に外堀がめぐらされていた。1617年(元和3)、大坂夏の陣の戦功によって国替えとなった小笠原忠真(ただざね)は、現在の明石城跡より南西約1kmの明石川河口西岸にあった船上(ふなげ)城(明石市)に入城して、明石藩が成立した。翌年、2代将軍徳川秀忠から新城造営を命ぜられると、六甲山系が西に延び、明石川に区切られた台地の突端部に位置する人丸山を選んで1619年(元和5)に築城を開始し、1620年(元和6)には造営を終え船上城から移り住んだ。西国の外様大名の押さえの城として江戸幕府が重要視し、歴代、譜代・親藩大名が明石の地に封ぜられ、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家を経て、1682年(天和2)に越前松平家が入封、以後明治維新まで続いた。一帯は現在、明石公園になり、城跡は2004年(平成16)に国の史跡に指定。JR山陽本線明石駅から徒歩約10分。

出典:講談社
(C)Kodansha 2013.
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