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春日局【かすがのつぼね】

美術人名辞典

春日局
江戸前期、三代将軍徳川家光の乳母明智光秀の重臣斉藤利三の娘。名は丹波生。美濃の豪族稲葉正成後妻となるが、のち三代将軍徳川家光の乳母となり、誠心誠家光に仕えた。寛永20年(1643)歿、65才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

かすが‐の‐つぼね【春日局】
[1579~1643]江戸前期の大奥の女中。徳川3代将軍家光の乳母。稲葉正成の妻。名は福。家光が将軍継嗣になるのに功績があり、大奥を任せられ、権勢を振るった。
歌舞伎時代物。5幕。明治24年(1891)東京歌舞伎座初演。演劇改良論者の福地桜痴が書き、9世市川団十郎が演じた活歴物の代表作。
杉本苑子の短編歴史小説。同作を表題作とする作品集は昭和45年(1970)刊行で、ほかに「女形の歯」「耳塚すみれ」などを収録。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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江戸・東京人物辞典

春日局
1579〜1643(天正7〜寛永20)【乳母】乳母として、家光を三代将軍に押し上げた。 三代将軍家光の乳母。名はお福。父は斎藤利三。稲葉正成の妻となり正勝(のちの小田原城主)らを生み離別。のち大奥に入り、家光の乳母となった。家光・家忠の継承争いの際、大御所家康へ直訴。それが功を奏して家光を三代将軍とすることができ、大奥を統率した。水尾天皇の譲位問題では秀忠の意で上洛、天皇と拝謁するなど、一介の乳母を遥かに超えた働きを見せた。春日局は天皇拝謁の際に賜った院号。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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デジタル大辞泉プラス

春日局
1989年放映のNHK大河ドラマ。江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母春日局の生涯を描く。脚本:橋田壽賀子。音楽:坂田晃一。出演:大原麗子佐久間良子、山下真司ほか。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

かすがのつぼね【春日局】
1579‐1643(天正7‐寛永20)
徳川家光の乳母。お福ともいう。父は明智光秀の重臣斎藤利三,母は稲葉通明の女。従兄稲葉重通の養女となり,その養子正成に嫁し,正勝ら4男を生む。のち正成と離別して大奥に仕え,1604年(慶長9)家光の誕生にともなってその乳母となる。後年,家光・忠長兄弟の嫡庶争いのとき,局はひそかに駿府の大御所家康に直訴し,家光の世嗣決定に大きな役割を果たした。大奥を統率し,もろもろの〈掟〉を制定したといい,また大名証人のうち,女子のことはすべて局一人の沙汰するところであったという。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かすがのつぼね【春日局】
1579~1643 徳川三代将軍家光の乳母。稲葉正成の妻。名は福。家光の将軍継嗣に尽力。大奥を統率し、内外に勢力を振るった。湯島に天沢寺(麟祥院)を建立。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

春日局
かすがのつぼね
[生]天正7(1579).美濃
[没]寛永20(1643).9.14. 江戸
江戸時代初期,3代将軍徳川家光の乳母。父は斎藤利三,母は稲葉通明の娘。名は福。稲葉正成に嫁し,3子を産んだが,将軍家に家光が生れて,板倉勝重推挙によりその乳母になると離婚した。秀忠は家光の弟忠長を寵愛したが,福は家光を世子とするのに尽力,家光が将軍となると,大奥の統率をまかされ,幕閣内外に力をふるった。寛永5 (1628) 年後水尾天皇が譲位の意向を示すと,福は秀忠の内命で翌年上洛,所司代善後策を議して江戸に帰ったが,このとき,天皇は福に従三位,春日局の称号を授けた。田安門内の屋敷に住み,湯島の地に天沢寺を建立,家光から 300石の香火料を受けた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

春日局
かすがのつぼね
(1579―1643)
徳川家光(いえみつ)の乳母(うば)。名は福。父は明智光秀(あけちみつひで)家臣斎藤利三(としみつ)。母方の一族稲葉重通(しげみち)の養女となり、同養子正成(まさなり)に嫁し正勝らを産み、のち離婚。1604年(慶長9)家光出生に際し板倉勝重(かつしげ)の推挙により乳母となる。家光には2歳下の弟忠長(ただなが)があり、父秀忠(ひでただ)はこれを偏愛し、やがて継嗣(けいし)の序列も逆転するような状況に至る。局はこれを憂え、15年(元和1)伊勢(いせ)参宮に託して駿府(すんぷ)に至り大御所家康にこの旨を訴え、家康の取り計らいにより家光は世子と定まった。世にこれを「春日の抜参り」という。26年(寛永3)秀忠室浅井氏の没してのち、局は大奥を統率し、絶大な権勢を振るうとともに、将軍家光に対しても影響力をもった。
 1629年後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の処置に対し逆鱗(げきりん)あり譲位の意志を示すさなか、局は大御所秀忠の内意を受け上洛(じょうらく)し、参内して天盃を賜り春日局の号を許された。田安門内に宏壮(こうそう)な屋敷を営み、相州吉岡(神奈川県綾瀬(あやせ)市)に采地(さいち)3000石を領した。晩年、湯島(東京都文京区)に屋敷を賜り、天沢寺(のち麟祥院(りんしょういん))を建立し余生を過ごした。寛永(かんえい)20年9月14日没す。墓は湯島麟祥院にある。[橋本政宣]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

かすが‐の‐つぼね【春日局】
[一] 徳川三代将軍家光の乳母(うば)。斎藤利三の娘。名は福。稲葉正成の妻。家光が将軍継嗣になるため尽力し、のちに大奥を統率して勢力をふるった。天正七~寛永二〇年(一五七九‐一六四三
[二] 歌舞伎。時代物。五幕。福地桜痴作。明治二四年(一八九一)東京歌舞伎座初演。徳川二代将軍秀忠の後継竹千代の乳母として、国千代擁立をはかる高円(たかまど)らの陰謀に抗し、竹千代の世継の位置を守る春日局の苦心を脚色した。活歴を主張する桜痴が初めてその主張を具体化した作。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典

春日局
かすがのつぼね
歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
福地桜痴
補作者
大村嘉代子
初演
明治24.6(東京・歌舞伎座)

出典:日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」
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旺文社日本史事典 三訂版

春日局
かすがのつぼね
1579〜1643
江戸前期,3代将軍徳川家光の乳母 (うば)
明智光秀の家臣斎藤利三の娘。稲葉正成の妻で,名は福。1604年家光が出生すると乳母になり,父将軍秀忠が家光の弟忠長を後継にたてようとしたのを大御所家康に願って阻止したという。家光の将軍就任後大奥の実権を握った。上洛して後水尾天皇に拝謁,春日局と称した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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