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景徳鎮【ケイトクチン】

デジタル大辞泉

けいとくちん【景徳鎮】
中国江西省北東部、昌江(しょうこう)流域にある都市。代には昌南鎮と称し、北宋の景徳年間(1004~1007)に現名称に改められた。古くから窯業で栄え、代には最盛期を迎えた。チントーチェン。→景徳鎮窯
で作られる磁器のこと。青磁白磁影青(インチン)などがある。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

けいとくちん【景徳鎮 Jǐng dé zhèn】
中国江西省の北東部,昌江上流にある中国第一の窯業都市。古くは立馬山といい,東晋時代に新平鎮となり,唐代には昌南鎮と称したが,の景徳年間(1004‐07)に景徳鎮となった。製陶起源は古く,漢代とも西晋代(265‐316)ともいわれ,また南朝陳の至徳年間(583‐86)勅命をうけて製陶したとも伝える。白磁を焼くようになったのは唐代からで,現在知られている最古窯跡は唐末五代のもの,そこには青磁と白磁の破片が散乱している。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

景徳鎮
けいとくちん / チントーチェン

中国、江西(こうせい)省北東部の地級市。2市轄区、1県を管轄し、1県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口152万3329(2010)。古くから良質の陶土を産し水陸交通の便もよいことから陶工が住みついて発達し、初め昌南(しょうなん)鎮といった。583年、陳(ちん)朝に陶器を献上し、唐の初め陶玉という陶工が陶器を仮玉器(かぎょくき)と称して唐朝に献上してから、陶窯とよばれて有名になった。陶窯はまた地名にちなんで昌窯ともよばれた。11世紀初め、宋(そう)の御用陶器を製造したので、地名を当時の年号にちなんで景徳鎮と改めた。その後、金(きん)の侵攻で荒廃した華北から優れた陶工が来住したので、量・質ともに他窯を圧倒し、元代にも多くの逸品をつくり、明(みん)・清(しん)代には政府の専用工場である御器廠(ぎょきしょう)が置かれた。雍正(ようせい)・乾隆(けんりゅう)のころはその最盛期で、人口も40万に達し、数多くの製品が海外にも輸出され、ヨーロッパ各国で愛された。清末には需要過多のために粗品が多くなったが、昨今は近代工業都市的構想のもとに、陶瓷(とうし)研究所や陶器館を中心として、往年の盛況に戻りつつある。

[星 斌夫・編集部 2017年2月16日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

景徳鎮
けいとくちん
Jǐngdézhèn
中国江西省北部にある製陶業の中心地
唐代から知られ,宋代から発展,明・清代に最盛期を迎えた。宋では青白磁影青 (インチン) )を主とし,元になって染付(青花)が始まった。明代になると政府の専用工場の御器厰が設けられて,染付とともに赤絵が発達し,清では精緻な作風を生んだ。明・清代には染付,赤絵(宣徳・成化・嘉靖 (かせい) ・万暦・天啓康熙 (こうき) ・乾隆 (けんりゆう) に特色を示す),南京赤絵,祥瑞 (しよんずい) などのほとんどすべてに優秀な製品を生産し,海外にも輸出した。材料は東方高嶺山に良質の陶土が出る。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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