●景福宮【けいふくきゅう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
景福宮
けいふくきゅう
Kyǒng-bokkung
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世界大百科事典 第2版
けいふくきゅう【景福宮】
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世界の観光地名がわかる事典
けいふくきゅう【景福宮】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
景福宮
けいふくきゅう
朝鮮、李朝(りちょう)の正宮。別称を北闕(ほくけつ)ともいう。1395年ソウルに創建された。総面積は約42万平方メートル。新羅(しらぎ)、高麗(こうらい)、李氏朝鮮王朝のほかの王宮がすべて丘陵上に造営されたのに対し、この王宮は当時流行した風水地理説に基づく吉地に創建され、南に広大な平地と清流を有し、北の背後には北岳山が迫っている。1592年(文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役)に兵火にあって全焼し、王宮として不吉であるとされ、放置されていたが、1865年に至り、高宗の実父興宣大院君によって再建され、ふたたび正宮となった。しかし1895年、明成皇后閔妃(びんひ)が日本人暴徒に殺害されて以後、王宮としての運命を終えた。
[平木 實]
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