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最上氏【もがみうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

最上氏
もがみうじ
清和源氏足利氏の一族で斯波氏の一流。南北朝時代足利氏の命により斯波兼頼羽州探題として出羽国最上郷に入部して以来最上氏を称したという。この地名を山形と改めて奥羽の名族として覇を唱えたが,室町時代中期以降,伊達氏をはじめ,在地土豪の成長によって後退した。義光 (よしあき) のとき豊臣秀吉に従い,24万石を領した。関ヶ原の戦いには東軍に属し,戦後 57万石に増封された。義俊のとき,元和8 (1622) 年藩政の紛乱によって改易され,近江大森1万石に移封された。寛永9 (32) 年義智のとき 5000石に減封され交代寄合衆に列した。 (→大崎氏 )

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

もがみうじ【最上氏】
室町~江戸時代の武家。足利一門斯波家兼の次男兼頼は,1354年(正平9∥文和3)家兼が若狭守護から奥州管領(奥州探題)に転じたのに従って陸奥に移り,56年(正平11∥延文1)に出羽国山形に入部したと伝える。その後,出羽斯波氏は最上氏を称し,歴代羽州探題に任じて戦国期に至った。2代直家は諸子を天童黒川,高楡(たかだま),蟹沢,泉出(成沢)に配置し,3代満直も次男以下を中野,大窪,楯岡に配して,山形周辺の地域に勢力を扶植した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

最上氏
もがみうじ

足利(あしかが)一門の斯波(しば)氏の一流と称する名門武家。1356年(正平11・延文1)奥州探題(おうしゅうたんだい)斯波(大崎)家兼(いえかね)の二男兼頼(かねより)が出羽国(でわのくに)(山形県)最上郡に入部し、山形城を築いたのに始まる。その子孫がのちに最上氏を称し、羽州探題(うしゅうたんだい)として権勢を誇ったが、中ごろは不明な点が多く、一族の対立や豪族の台頭などにより、探題は空名にすぎなくなっていた。16世紀末に義光(よしあき)が継ぐと、一族を掃討して支配権力を強め、庄内(しょうない)方面に軍を進め、ついに現山形県の大半を領有する大大名に躍進した。関ヶ原の戦いでは徳川氏につき山形57万石に封ぜられた。しかしその領国体制は未熟であったため、義光の死後内紛が激化した。ついに1622年(元和8)幕府は最上義俊(よしとし)の所領57万石を没収し、近江(おうみ)大森(滋賀県東近江市)に転封して1万石(5000石は三河国内)を与えた。1631年(寛永8)嗣子(しし)義智(よしさと)幼少のためさらに5000石を削減され高家(こうけ)とされた。

[誉田慶恩]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

最上氏
もがみし
戦国〜江戸時代の武将の家
足利氏一族の斯波 (しば) 氏出身。室町時代,斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し,以後最上氏を称した。1590年豊臣秀吉に服属。関ケ原の戦い(1600)には東軍に参加し,57万石をうけた。のち内紛により5000石となり高家に列した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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