●有明海【ありあけかい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
有明海
ありあけかい
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ありあけ‐かい【有明海】
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ありあけかい【有明海】
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有明海
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世界大百科事典 第2版
ありあけかい【有明海】
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ありあけのうみ【有明海】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
有明海
ありあけかい
九州西部、長崎、佐賀、福岡、熊本の4県に囲まれた内海で、島原湾の湾奥部を占める。ほぼ熊本県長洲(ながす)町と長崎県雲仙(うんぜん)市国見(くにみ)町地区辺とを結んだ線以北の海域をいう。明治時代の地図類などには筑紫海(つくしかい)・筑紫潟・有明沖と記され、干潟(ひがた)での漁労活動など沿岸の人々と深く結びついた海であることから、前海(まえうみ)ともよんできた。干満差は、六角川(ろっかくがわ)河口付近で大潮時には約6メートルにも達し、日本最大である。この有明海の潮汐(ちょうせき)活動と、九州第一の大河、筑後(ちくご)川をはじめ、矢部(やべ)川、嘉瀬(かせ)川、六角川、塩田(しおた)川などの諸河川の堆積(たいせき)作用によって、沿岸には広大な干潟が形成され、筑後川河口付近では最大幅員が約7キロメートルにも及ぶ。干潟は、潟土(がたつち)の泥質干潟と砂の混じる砂質干潟からなり、湾奥部の佐賀・福岡県側と西部の諫早(いさはや)湾などでとくに泥質干潟が発達する。この干潟の発達による自然陸化に、中世末期ごろから始まった干拓による人工陸化が加わって、筑後川下流右岸地域では、100年間に約1キロメートルの割合で平野が伸展してきたという。この陸地には有明粘土層が厚く堆積し、軟弱地盤地帯となっている。
[川崎 茂・五十嵐勉]
沿岸の産業と開発
有明海は古くから不知火(しらぬい)燃ゆる神秘の海として知られたが、その風土はやはり広大な干潟によって代表される。干潟には、北原白秋(はくしゅう)の『わが生ひたち』に登場するムツゴロウやワラスボなどの干潟性生物が多く生息する。はね板(潟スキー)を利用してのムツゴロウとりなどの干潟漁労は、干潟の代表的風物詩である。干潟はまたシギ、ガンなどの野鳥の楽園でもある。蒲原有明(かんばらありあけ)の詩にみるカキや、白秋の名文にあるアゲマキなどの貝類の養殖にかわって、ノリ養殖が1950年代後半以降急激に伸び、東京湾をしのいで日本最大の産地となっている。
また、有明海の東岸の海底には、粘結性の石炭を埋蔵する。三井資本によるその開発は、大牟田(おおむた)地域に日本屈指の三池炭鉱(みいけたんこう)と、石炭化学コンビナートの成立を導いた。明治後期の閘門(こうもん)式三池築港は、遠浅で干満差の大きい障害を克服するための大工事であった。大牟田沖のノリひびの広がる海面に、海底の原料炭を本格的に開発するため、初島(はつしま)など世界初の人工島が出現した(1951)。しかしながら、1970年代以降は産炭量の減少が続き、1997年(平成9)の三池鉱山の閉山によって地域経済の衰退を招いた。
有明海に面する4県では、1952年(昭和27)に有明海地域総合開発協会が設立され、有明海の締め切りによる干拓計画や地下資源開発などの開発構想が企図されたが、1970年代以降のノリ養殖業の発達や米の生産調整によって計画は頓挫(とんざ)した。
[川崎 茂・五十嵐勉]
干拓の歴史
有明海の干潟の干拓は、元寇(げんこう)後の鎌倉時代末期ごろから始まり、江戸時代の新田開発で土居(どい)(土手)構築による地先の干拓が大きく進展した。その面積は肥前(ひぜん)(佐賀県)分約6300ヘクタール、筑後(ちくご)(福岡県)分約2000ヘクタールに及んだ。肥前佐賀藩の干拓は農民主体で、搦(からみ)などの名がつく地名で知られる零細な村請け干拓であった。それに対し筑後柳川藩(やながわはん)や肥後藩の干拓は、開(ひらき)の名が多く、とくに藩営や商人請負による新田開発に特色があった。明治以後は築堤技術が進み、干拓規模も大型化した。1951年(昭和26)に国営事業として潮止めを完成した有明干拓は、全面積約1174ヘクタール(有明工区)にも及び、入植農家数318戸を数えた。干拓地では海神を祀(まつ)り、高潮災害などからの安全を祈る竜王、海童信仰や、潮止観音信仰などがみられた。
しかしながら、大規模な水利組織の再編を伴わない干拓は、慢性的な水不足を招き、満潮時に遡(さかのぼ)る海水と淡水の比重の差を利用した不安定な潮汐逆水灌漑(かんがい)(アオ灌漑。アオとは潮によって逆流する淡水のこと)や地下水の揚水(ようすい)に依存する農地が拡大した。また、白石平野(しろいしへいや)のように地下水に依存する地域では、地盤沈下が深刻化した。これらの干拓地では、大規模な生産性の高い稲作が行われているが、第二次世界大戦後の干拓では、その多くが1970年代のコメの生産調整によって計画が途絶し、完成した干拓地が空港用地に転用されるなどの変化をみた。諫早湾では湾入部を締め切る潮受堤防が1997年(平成9)に締め切られて干拓地の造成が行われ、2008年から営農も開始された。しかし、潮受堤防閉門後のノリ不作など、周辺海域の環境悪化との因果関係が問題となり、堤防水門の開閉をめぐって争いが続いている。
有明海は、干潟特有の魚介類や底性生物が多く生息し、それを餌(えさ)とするシギやガンなどの野鳥が数多く集まる、国内でも貴重な湿地となっている。開発による干潟の減少が続く日本において、生物の多様性が微妙なバランスで維持されている有明海の干潟の保全が大きな関心をよんでいる。
[川崎 茂・五十嵐勉]
『千手正美著『有明海干拓の展開過程』(1967・九州農政局)』▽『『有明干拓史』(1969・九州農政局)』▽『平岡昭利編『九州 地図で読む百年』(1997・古今書院)』
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事典・日本の観光資源
有明海
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精選版 日本国語大辞典
ありあけ‐かい【有明海】
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