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有栖川宮熾仁親王【ありすがわのみや たるひと しんのう】

美術人名辞典

有栖川宮熾仁親王
幕末・明治の皇族・政治家・軍人有栖川宮幟仁親王の第一王子。仁孝天皇猶子。歓宮・大宰帥と称する。尊攘運動を支持し、禁門の変後国事御用掛を罷免され謹慎の身となるが、王政復古により総裁職となる。戊辰西南戦争では征討総督となり、のち兵部卿・福岡藩知事・元老院議官参謀総長等を歴任する。明治28年(1895)薨去、61才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

ありすがわのみやたるひと‐しんのう〔ありすがはのみやたるひとシンワウ〕【有栖川宮熾仁親王】
[1835~1895]有栖川宮9代親王幕末攘夷(じょうい)論を主張。王政復古とともに総裁職に就任した。戊辰(ぼしん)戦争東征大総督。のち、参謀総長などを歴任。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

有栖川宮熾仁親王 ありすがわのみや-たるひとしんのう
1835-1895 江戸後期-明治時代,有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第1王子。
天保(てんぽう)6年2月19日生まれ。国事御用掛となるが,尊攘(そんじょう)運動を支持し,禁門の変ののち失脚。王政復古後新政府の総裁となり,戊(ぼしん)戦争に東征大総督,西南戦争に征討総督として出征した。明治10年陸軍大将,22年参謀総長。明治28年1月15日死去。61歳。幼称は歓宮(よしのみや)。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ありすがわのみやたるひとしんのう【有栖川宮熾仁親王】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ありすがわのみやたるひとしんのう【有栖川宮熾仁親王】
1835~1895 有栖川宮第九世。1868年、王政復古とともに総裁職となり、戊辰戦争では東征大総督として官軍を率いて東下。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

有栖川宮熾仁親王
ありすがわのみやたるひとしんのう
[生]天保6(1835).京都
[没]1895.1.24.
有栖川宮第9世。幟仁 (たかひと) 親王の第1王子。嘉永1 (1848) 年仁孝天皇の猶子,翌年親王宣下。同4年仁孝天皇皇女和宮親子内親王と婚約したが,和宮が将軍徳川家茂に降嫁のため沙汰止みとなる (→和宮降嫁問題 ) 。幕末以来国事に奔走禁門の変朝譴 (ちょうけん) をこうむったが,王政復古とともに新政府の総裁職に就任,鳥羽・伏見の戦いには征東大総督として鎮定に功を立てた。のち兵部卿,福岡藩知事,元老院議長を歴任。西南戦争では征討総督,陸軍大将となり,そののち参謀本部長,参謀総長に進み,日清戦争には広島大本営に軍務をとったが,病を得てした。陵墓は東京都文京区大塚5丁目豊島岡墓地。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

有栖川宮熾仁親王
ありすがわのみやたるひとしんのう
(1835―1895)
幕末・明治時代の皇族。有栖川宮幟仁(たかひと)親王の長子。天保(てんぽう)6年2月19日生まれ。日米修好通商条約の調印に反対して尊王攘夷(そんのうじょうい)運動を支持。1864年(元治1)国事御用掛に任ぜられたが、同年の蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変)で長州藩士に荷担したゆえをもって謹慎を命ぜられた。1867年(慶応3)12月、王政復古とともに総裁職に就任。翌1868年の戊辰(ぼしん)戦争では2月、東征大総督となり官軍を率いて東下、江戸に入った。のち、兵部卿(ひょうぶきょう)、福岡県知事、元老院議長を務め、1877年(明治10)の西南戦争には征討総督として出征した。戦後、陸軍大将となり、左大臣、参謀本部長、参謀総長を歴任。日清(にっしん)戦争中の明治28年1月15日に没した。[大日方純夫]
『『熾仁親王行実』全2巻(1929・高松宮家)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ありすがわのみや‐たるひとしんのう【有栖川宮熾仁親王】
有栖川宮幟仁(たかひと)親王の長子。安政の条約の際に攘夷論を主張。王政復古とともに総裁職に就任。戊辰(ぼしん)戦争では東征大総督、会津征討大総督、西南戦争でも征討総督となる。のち陸軍大将、参謀総長。天保六~明治二八年(一八三五‐九五

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

有栖川宮熾仁親王
ありすがわのみやたるひとしんのう
1835〜95
幕末・明治時代の皇族
有栖川宮幟仁 (たかひと) 親王の第1子。王政復古の大号令により三職が置かれると,総裁に就任。戊辰 (ぼしん) 戦争に際しては東征大総督として江戸に入り,江戸城を無血開城させた。以後兵部卿・福岡藩知事・元老院議長などを歴任し,西南戦争で征討総督,日清戦争では総参謀長をつとめた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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