●朝鮮民主主義人民共和国【ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
朝鮮民主主義人民共和国
ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく
Chosǒn-minjujuǔi-inmin-konghwaguk
面積 12万2762km2。
人口 2472万(2013推計)。
首都 ピョンヤン(平壌)特別市。
アジア大陸の東部にある朝鮮半島の北半を占める社会主義国。行政区はピョンヤン特別市,ケソン(開城)地区(→ケソン〈開城〉市),チョンジン(清津)直轄市と八つの道に分かれる。北はアムロク(鴨緑)江,トゥマン(豆満)江を境に中国,ロシアと接する。地形は北東部が高く,ハムギョン(咸鏡)山脈,ペクトゥ(白頭)山脈,ケマ(蓋馬)高原などからなる。ケマ高原の西縁をランリム(狼林)山脈が走って,南はトンジョソン(東朝鮮)湾の湾奥付近に達し,その南にテベク(太白)山脈が続く。ランリム山脈,テベク山脈から南西方向に支脈が並走し,西海岸付近に達する。西海岸に注ぐ河川はテドン(大同)江,チョンチョン(清川)江など朝鮮半島での大河を含み,流域には準平原と沖積平野が発達。東海岸側の河川は流路が短く,平野も規模が小さい。気候は寒暑の差が大きく,月平均気温は南部のピョンヤン市で-8℃(1月)~24℃(7月),北部のチュンガン(中江)で-21~22℃。年降水量は 800~1500mmで 60%が 6~8月に降る。主作物は米,トウモロコシ,コムギ,オオムギ,ジャガイモ,サツマイモ,ダイズなどで,リンゴを中心とする果樹作,牧牛,養鶏,養蚕も行なわれたが,自然災害や機械化の遅れにより生産力は低下した。沿岸の各港で漁業が盛んであり,東岸のキムチェク(金策)市,シンポ(新浦)市は遠洋漁業の基地。ペクトゥ山脈一帯では林業が行なわれ,ヘサン(恵山)市などに製材,製紙の工場が立地する。地下資源は種類,量とも豊富で,石炭,鉄,銅,鉛,亜鉛,マグネサイト,金,銀,黒鉛などを産したが,設備が老朽化して衰えた。またアムロク江とその支流に大型ダムが建設され,電力を供給している。重化学工業では,ソンリム(松林)市,カンソン(降仙),チョンジン市,キムチェク市に鉄鋼関連の工場が,フンナム(興南)市にビニロン工場,肥料工場などがある。ほかに機械,精密機械,電機,造船,冶金などの工場がある。中国,大韓民国(韓国),ロシア,日本,タイなどと,食品,燃料,衣料品などの輸入,家畜,農産物,衣料品などの輸出を行なう。鉄道はピョンヤン市,ウォンサン(元山)市を起点としておもな町を結ぶ。テベク山脈中のクムガン(金剛)山は奇岩奇峰で知られる景勝地。ペクトゥ山一帯は抗日革命運動の戦跡が多い。(→朝鮮史)
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デジタル大辞泉
ちょうせん‐みんしゅしゅぎじんみんきょうわこく〔テウセン‐〕【朝鮮民主主義人民共和国】
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世界大百科事典 第2版
ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく【朝鮮民主主義人民共和国 Chosŏn‐minju‐juǔi‐inmin‐konghwaguk】
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精選版 日本国語大辞典
ちょうせん‐みんしゅしゅぎじんみんきょうわこく テウセン‥【朝鮮民主主義人民共和国】
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旺文社世界史事典 三訂版
朝鮮民主主義人民共和国
ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく
1948年8月の総選挙にもとづき,9月金日成 (キムイルソン) を首相として朝鮮民主主義人民共和国が成立し,南の大韓民国とともに朝鮮分断が固定化された。1950年6月に勃発した朝鮮戦争は,53年7月板門店で休戦となった。その後,1957年から第1次5か年計画,続いて第1次7か年計画を実施して社会主義体制強化のため産業開発につとめた。外交面では中ソ対立が激化する中,1966年に自主独立路線を宣言。1967年には主体(チュチェ)思想による自主外交・自立経済・自衛国防ほかの10大綱領を発表。1972年新憲法を制定し,金日成が国家主席に就任して,行政・司法・軍事の全権を掌握した。そして1974年,長男の金正日 (キムジヨンイル) 書記を後継者に決定。その後,1980年民族統一に向けて高麗民主連邦共和国の施政方針を発表。しかし,1983年のラングーン爆弾テロ事件,87年の大韓航空機爆破事件で韓国との緊張が高まった。またソ連でのペレストロイカ開始,東欧諸国での体制改革にもかかわらず,自主路線堅持の姿勢をみせた。1990年ソウルで初の南北の首相会談が開かれ,翌91年南北同時国連加盟を実現した。だが,韓国が1990年にソ連,92年に中国と国交を樹立したことで,国際的孤立感が深まった。1993年核不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言し,国際原子力機関(IAEA)の核査察を拒否したが,アメリカとの共同声明で脱退保留を表明。1994年,独裁的に権力を握ってきた金日成主席が死去,息子の金正日体制が発足(1997年党総書記に就任)した。ところが経済政策の失敗と天候不順が重なり,1995年から深刻な食糧難が始まる中,96年には小型艦艇が韓国海岸に侵入したり,98年には太平洋に向けて多段式ロケットを発射し,極東情勢に緊張感を高めた。しかし,韓国の金大中政権による「太陽政策」もあり,2000年6月ピョンヤンで初の南北首脳会談が実現した。
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旺文社日本史事典 三訂版
朝鮮民主主義人民共和国
ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく
首都はピョンヤン。初代首相は金日成('72年国家主席)。朝鮮戦争(1950〜53)でかなりの損害を出したが,ソ連および中華人民共和国の援助をうけて復興。'60年代に入り,チュチュ(主体)思想に基づき,「自力更生」をスローガンに自主路線を進めている。'94年の金日成の死後も金正日を中心に独自の社会主義路線を保持している。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
朝鮮民主主義人民共和国
ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく / チョソンミンチュチュイインミンコンファクク
→北朝鮮
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